2015年2月19日木曜日

「競輪」考

「競輪」そうギャンブルの競輪は、「日本精神」そのものと言える。海外のギャンブルは馬、犬等の競争が賭けの対象で、人間の脚力そのもの、一人一人が対象のものはない。キリスト教は、人間の罪を内在として捉えるそうだが、神道では罪、穢れは白玉に付いた泥の様に洗い流せて、人間を純真なものとして捉えている。その人間は全力で自転車レースをし、地域の人間関係でラインを組み、脚質(先行・捲り・追い込み)によって位置を決め、ギヤ倍数によって動くタイミングを計ると、日本人は考え推理するからギャンブルとして成立している。競輪選手一人に全幅の信頼を寄せている。人間への信頼それが「日本精神」の基本にある。春間近になったら「旅打ち」に出かけてみませんか。

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