2010年11月10日水曜日

志野・木曽路の旅

昭和五年荒川豊蔵が名古屋関戸家所蔵の志野筍絵茶碗見た2日後、岐阜県可児市大萱牟田洞の古窯跡で同じ文様の破片を発見、以後調査により桃山茶陶が美濃で焼かれたことが明らかになったとの事を、志野筍絵陶片発見の地に、開館している「豊蔵資料館」その陶片の前で知ってびっくりした。それは私も前日その志野筍絵茶碗「玉川」を徳川美術館で見ていて、4回も戻って見続けた心に残る茶碗だったからだ。私の父の形見としての志野茶碗が気になっての今回の旅「豊蔵資料館」には前から気を引き付けられていたが、そこで出会った山中さん:荒川豊蔵先生のお弟子さんに敷地を隈なく案内頂き感動いたしました。
荒川先生関するお話もさることながら、中山さんの博識とそれに増しての荒川先生に対する弟子としての熱い思いに感動しました。この思いを私も今泉定助先生に対して没後の門人として持ち続けていかねばと心新たにした。
國學院で阪本是丸先生に『夜明け前』読んだことあるかと言われ慌てて読んだ、維新そして明治の国学者、近代神道を学ぶ者としての基礎資料とも言える島崎藤村の作品、その空気を感じたくて馬籠・妻籠を歩いた。木曽路はすべて山の中とあるが明るい紅葉の中でもあつた。人生の秋を迎えて人生二毛作と第二の青春の真ん中は「胸に棘刺す事ばかり」ばかりじゃないなと思いながら「朴歯味噌」で「七笑」をぐびっと飲んだ。