2015年9月30日水曜日

『五輪書』と『古事記伝』の「日本精神」

宮本武蔵の『五輪書』は年を重ねると共に新たな視点を教えてもらう。合気道修行の日々では「目付け」「太刀の持ち用」を教えてもらい、「国学」を学び神職として「禊・祓い」の日々の今、武蔵が「仏法、儒道の古語を用いず」「日本の精神」を『五輪書』で書き上げたのは正保二年(1645年)と気が付いた。あのミスター「国学」の本居宣長が『古事記伝』を書き上げたのは寛政十年(1798年)その150年前に「仏教、儒教の言葉を借りず」「日本精神」を書き残した武蔵は「国学の先駆け契沖」よりも早く「国学の曙」と言える。新免武蔵守藤原の玄信年もって60歳、寛永10月10日寅の1てんに『五輪書』を書き始める。真もつて凄い男なり。

2015年9月17日木曜日

電子書籍『聖なる天皇の大嘗祭』は過去を知り、現代を考える鍵となる

佐々木聖使著 電子書籍 『聖なる天皇の大嘗祭』 第1章「大嘗祭はなぜ始まったか?」によると先帝の喪葬儀礼を執行する権利を持つことが、次帝として即位するために必要不可欠の時代にあって、天武天皇が先帝の天智天皇の喪葬儀礼に関係できず、その「代用」して「大嘗祭」編み出したとする指摘は正に目から鱗。天武天皇が始めた「大嘗祭」は、その後皇位継承の中心儀礼となった理由は「先帝の崩御・もがり・埋葬」と「即位式」と「新嘗」を集約した祭儀で従来のこれら皇位継承儀礼を行うと同じ意味を持つものとなったからとしている。例えば先帝の崩御と新帝の即位が不可分な時代であった推古天皇は退位出来ず、即位すべき年齢と立場の聖徳太子が新帝になることなく逝ってしまった。しかし「大嘗祭」は、祭儀の中にその両者を含むため、「大嘗祭」を挙行すれば、「譲位」を可能とする新しい皇位継承への道を開いた。 発行「龍声社」

2015年9月13日日曜日

今泉定助先生の遺品

今泉家に保管されている今泉先生の遺品が今月國學院大學に寄贈される。日大の佐々木先生によって整理ファイル化されていたもので、今回の寄贈によって多くの研究者に広く公開され明治、大正そして昭和前期の神道研究に、資することが期待される。