2011年2月19日土曜日

養神館合気道千葉県連盟主催第七回ジュニア合気道大会

2月13日(日)第7回ジュニア合気道大会が浦安市総合体育館・武道場で開催され、参加者約170名と、これまでで最も大きな大会となった。今回は静岡支部、埼玉支部、王子道場の子供たちも参加し、白熱した競技演武が展開された。少年3級以下は昇龍の部、2級以上が飛龍の部と分かれ、昇龍の部は基本動作連続と基本技、飛龍の部は基本動作連続と基本技、自由技、を行った。これまでの大会では、参加団体の責任者としての立場上、大会全体を俯瞰的に見てきたが、今回は初めてスタッフとして、大会運営上4会場設けたC会場の審査員という指導者として、願っても無い参加となった。昇龍の部の担当として、少年3級以下の少年少女の基本動作連続と基本技を審査させてもらったわけだが、子供たちの真剣な演武に直接対峙すると、自分の心が自然と熱くなるのがわかる。この感激を胸にこれからも少年指導に当って行きたいと思う最高の一日となった。何時もながら安藤師範から合気道のみならず、人生そのものに関し学ぶ事があまりにも多く感謝の日々を過ごしている。

2011年2月17日木曜日

2011年2月15日火曜日國學院大學伝統文化リサーチセンター研究フォーラム続き

菅野雅雄先生の基調講演の中で次に勉強になったのは、皇典講究所前史の『古事記』研究として田中頼庸が神宮教管長時代に著作した『校訂古事記』の読み方が漢文で読んでいて「奈良調」、皇典講究所が明治四十四年に刊行した『校定古事記』は国学者の流れで本居流で「平安調」との指摘で、今泉定助先生は、田中頼庸から神道事務局副管長時代、そして神道神宮教後の神宮奉斎会と指導を受けると共に流れも継いでいる訳で、葦津珍彦は『神道学史上の今泉定助先生』のなかで「私が見た今泉先生の葬儀の作法などにも、宣長流の目で見ると、どうも儒式の影があるかと思ったことがある。」として面白く感じた。今泉敬介先生のご自宅にも田中頼庸『校訂日本紀』残されていてその一部が窺えた事も今後の調査研究の励みにもなった。

2011年2月15日火曜日

國學院大學伝統文化リサーチセンター研究フォーラム

「國學院の学術資産に見るモノと心」研究プロジェクトによる研究フォーラム「皇典講究所・國學院と『古事記』研究」が2月12日氷雨舞うなか実施された。前古事記学会代表理事菅野雅雄先生の基調講演に始まり、國大若手の研究者二名による発題・國大の先生二名によるコメントそして総合討議と続き内容は私の研究テーマ今泉定助の歩いた道そのもので勉強になるフォーラムとなった。その中で管野先生が幕末維新の混乱を乗り越えるために皇典講究所が設立された事を、自分は第二次世界大戦の敗戦による混乱を体験した事で感じ取る事が出来、そして天武天皇の壬申の乱の混乱の対応として『古事記』が生れたと確信出来たと言われた。これは今泉先生の言われる體験、體得、體察で研究者しての大切な感性であり姿勢なのではないか。またコメントの中で嵐義人國大教授が明治15年欧風文化に対して設立された東京大学文学部付属古典講習科は二期で終わったが、その流れは國學院大學が引き継ぐとして、これに戸浪裕之國大DP研究員が今泉定助先生(当時は佐藤定介)を例に挙げ応えていたが、正に皇典講究所前史である大教宣布運動に尽力し神道事務局の支局長として神社行政に当った山田信胤に厳しく教育を受け、そして上京神道事務局生徒寮で学び東京大学文学部付属古典講習科国書課一期生として卒業、皇典講究所付属補充中学の設立に関わり後、教頭。國學院開校に係わり開校と共に講師と今泉定助の歩みそのものが神道を中核とする伝統文化研究・教育の歩みと言えるのではないか。

2011年2月7日月曜日

一日禊記

稜威會有志の会一日禊に参加、曇天!これもいい稜威會本部道場は毎回姿形を変えて迎えてくれる。清々しい凛とした空気が緩んだ気持ちを引き締める。日差しが無いため底冷え、寒い!気持ちが萎えるが、拜神が始まると、なぜか心が浮き立ち寒さが見える。潜水 練馬の里の柔らかい水の中で心が躍る、玄米粥の食事 有志の会始まって以来最高の出来!甘く柔らかいお粥に包まれる。勉強会 道彦の江島さん 天鳥船の時から声の伸びが好く川面先生著『天照太神宮』第十章も参加者と素敵なレシーブで進めていく。今回初参加の男性は41歳には見えない青年、鳥船等拜神後行事も自然にこなすのには、不思議に思っていたら、お父さんが植芝盛平翁の高弟で小学校の時から父の指導でやっていたとの事、又一つ禊と合気道の繋がりを知り、それはまた前日聴いた朝日カルチャーセンター千葉での「合気道ライブ」養神館合気道龍主宰安藤毎夫先生によるライブテーマ「合気道の身体操作」それは「中心帰一」という究極のテーマに挑んだもので、合気道開祖植芝盛平翁の呼吸力の解明への独自の取り組みの一貫した歩みなのだが、今泉定助先生の皇道思想の大きな流れに則した體験、體得、體察でもある事を感じ取った。そして大井会長を中心とした楽しく伸びやかな茶話会に終わった一日禊もまた、今泉定助先生に導かれていく日々である事を確信した。