2010年12月9日木曜日

神道宗教學會

第64回学術大会が國學院大學で12月4・5日の両日実施された。
大会テーマは「霊山・修験道の展開と神社」宮家準先生の学術講演に始まりシンポジウムと続く内容を中学1年の夏、友人と友人の祖母と参加した御嶽山の講中登拜を思い出しながら懐かしく聴いていた。
2日目は研究発表、三部会に分かれた大学院演習室で発表30分、質疑10分、休み無く続く真剣勝負は勉強になると共に研究に対する熱い思いもいただける。両日とも日大の佐々木聖史先生にお会いでき貴重なお話しも聞け楽しい二日間となった。

2010年12月1日水曜日

『御歌所と国学者』

「従来の近代和歌史研究は、いわゆる和歌革新運動をすすめた「新派和歌」「新派歌人」の視点から述べるものが多くを占めており、それに比して「旧派和歌」「旧派歌人」の研究は停滞していたといえる。
しかしながら「新派」の活動が盛んになった明治三十年代以降においても、「旧派」の活動は活発であり、「新派」「旧派」が両立する状況にあったことをふまえれば、現在の研究状況は公平な視点によるものとはいえないと考える」とする國學院大學研究開発推進センター宮本誉士助教による『御歌所と国学者』が弘文堂から平成22年12月日久伊豆神社小教院叢書9として出版された。この概要を11月の小教院で直接宮本助教から聴ける幸運に恵まれた。特に今泉定助先生と関係が深い高崎正風の教育勅語実践運動、その師・八田知紀の「造化主」「造化神」重視の思想等明治期の今泉先生の思想構築を考える上でたいへん貴重なお話しを伺えた。

2010年11月10日水曜日

志野・木曽路の旅

昭和五年荒川豊蔵が名古屋関戸家所蔵の志野筍絵茶碗見た2日後、岐阜県可児市大萱牟田洞の古窯跡で同じ文様の破片を発見、以後調査により桃山茶陶が美濃で焼かれたことが明らかになったとの事を、志野筍絵陶片発見の地に、開館している「豊蔵資料館」その陶片の前で知ってびっくりした。それは私も前日その志野筍絵茶碗「玉川」を徳川美術館で見ていて、4回も戻って見続けた心に残る茶碗だったからだ。私の父の形見としての志野茶碗が気になっての今回の旅「豊蔵資料館」には前から気を引き付けられていたが、そこで出会った山中さん:荒川豊蔵先生のお弟子さんに敷地を隈なく案内頂き感動いたしました。
荒川先生関するお話もさることながら、中山さんの博識とそれに増しての荒川先生に対する弟子としての熱い思いに感動しました。この思いを私も今泉定助先生に対して没後の門人として持ち続けていかねばと心新たにした。
國學院で阪本是丸先生に『夜明け前』読んだことあるかと言われ慌てて読んだ、維新そして明治の国学者、近代神道を学ぶ者としての基礎資料とも言える島崎藤村の作品、その空気を感じたくて馬籠・妻籠を歩いた。木曽路はすべて山の中とあるが明るい紅葉の中でもあつた。人生の秋を迎えて人生二毛作と第二の青春の真ん中は「胸に棘刺す事ばかり」ばかりじゃないなと思いながら「朴歯味噌」で「七笑」をぐびっと飲んだ。

2010年10月31日日曜日

教育勅語渙発百二十年記念「教育勅語講座」

 台風14号による激しい雨の中、明治神宮拝殿の大太鼓が鳴り響いた。
その時、今日なんだ!120年前の今日「教育勅語」が渙発されたんだと気が付いた。
若干28歳の今泉定助先生が翌明治24年11月に『教育勅語衍義』を出版し今泉先生の神道神学の核となった「勅語」、また稜威會の教典で慣れ親しんできた「勅語」その日付の重さを鬱蒼とした森の参道で考え歩き続けた。
杉浦重剛先生の「教育勅語」御進講を解説された所功先生の本を読んでいたので、飛びついて申し込んだ所先生の明治神宮社務所講堂における「教育勅語講座」:先生が編集した「教育勅語」関係資料(抄)に基づく論理的且つ実証的講義は「教育勅語」の成立と展開を明確に示し、講義の最後に「父母に考」など各徳目について自分で何が出来るかを考えていただけたらとの問いを提示されて終わった。雨の参道を歩きながら私に出来ることは何かを考え続けた結論は、今泉定助先生の皇道=日本精神の発揚、ささやかでも確実に一歩づつ進めることだと確信して鳥居で拝礼した。

2010年10月27日水曜日

今泉定助研究会第1回勉強会の報告

暖かい!囲炉裏を囲んで村人が集まって談笑している そんな雰囲気を醸し出している今泉定助研究会第1回勉強会。此処だけの別空間 ただ一点『天皇霊と皇位継承儀礼』を読み込んだ者だけが集い、著者 佐々木聖史先生囲み書評を通じて心を通わしている。
日本大学今泉研究所「日本精神講座」修了生による泉流会・禊の道彦:島田さん、稜威會会長大井さん、道彦:江島さん、國學院大學の若き研究者小林さん、伊豆の仙人小坂さん今泉定助先生縁の地に集い語りそして直会、会場となった稜威會本部道場は何時も宇宙船に乗って居るかの様に異次元を作り出してくれる。しかし今回参加できなかった宮城県の今泉定助研究会同士の人々の為に第2回目勉強会は今泉定助先生生誕の地白石で開催せねばと思いつつ秋の日は暮れた。

2010年10月11日月曜日

「泉流会」和歌の会

昨日今泉研究所「日本精神講座」修了者組織「泉流会」会員による「和歌の会」に出席させて頂きました。
持寄二首とのことでしたが、恥ずかしながらの一首提出、昔國學院で阪本是丸先生から和歌は日本人たる素養と言われたことを思い出し深く反省、しかし会場となった多摩市「旧富澤家住宅」には、感動いたしました。日曜日とあって喧騒の公園、その中にあっても静寂がただよい心静まる歌会となりました。当日のお題は「坂」冷や汗を掻きながらの一首、「今は亡き 友を思へば 時雨坂 酔って上れば 足元見えず」ご指導頂いた石田圭介先生から演歌のようとの評でした。緊張の中にも、楽しい時間を過ごさしていただきました。「泉流会」の先生並びに諸先輩の皆様有り難うございました。

2010年9月13日月曜日

今泉定助先生墓前祭

9月12日日曜日2時東京青山にて今泉定助先生の第66回目の墓前祭に参加させて頂く。東京大神宮神職の祝詞は爽やかにして、残暑を一瞬忘れさせてくれた。今泉敬介・石田圭介両先生とも矍鑠としていらしゃり、自然と墓前祭が凛と引き締っている。秋晴れの心静かな一日を過ごさせていただきました。

2010年9月7日火曜日

今泉定助研究会第1回勉強会の実施

来る10月24日日曜日午後1時から今泉定助研究会の第一回勉強会・「『天皇霊と皇位継承儀礼』を解く」を実施します。川面凡児翁の禊を伝える稜威會本部道場での集まりに縁を感じます。泉流会と稜威會の道彦の先生方・國大の研究者等の今泉先生の流れを汲む参加者を予定しています。詳しくは右記「今泉定助研究会本部」ホームページをご覧下さい。

2010年8月15日日曜日

『天皇霊と皇位継承儀礼』佐々木聖史著を読み解く会

今泉神道の道統を繋ぐ
今泉定助先生をして失敗だらけの80年の人生に於ける唯一の成功とした皇道学院の開設―昭和13年4月、日本大学皇道研究所の運営で講座開講(14年皇道学院と改称)20年まで続き8期約600名の卒業者を出す。-この卒業生による組織を「無窮会」と言い、先生没後も集まりを続け命日(9月11日)には、青山の墓前に数十名が参集し戦後20余年、先生の思想・精神を後代に伝える結束体となった。
昭和41年2月日本大学今泉研究所が「今泉定助の伝記と著作集の刊行及び皇道発揚に関する研究と教育事業をなすこと」を目的に日本大学本部内に設立され、昭和45年3月『今泉定助先生研究全集』全3巻を刊行、同年4月夜間1年制の「日本精神講座」を日大内に開講、爾来15回生200名余の有為の人材を輩出、修了生による「泉流会」を組織し、「無窮会」の人々と共に今泉先生の道統を継承している。
その一人が日本大学法学部講師 佐々木聖史先生で、今春『天皇霊と皇位継承儀礼』を新人物往来社から出版された。「天皇霊とは何か、皇位継承や大嘗祭に欠かせぬ魂の継承儀礼と神器の継承について、さまざま観点から論考する」内容は高校生を対象とするが、一般人にとっては、読みやすい文章ではあるが内容は濃い、そこで今回、佐々木先生をお呼びして、その道の研究者達による書評を通じての勉強会を予定してます。
まずは皆さん『天皇霊と皇位継承儀礼』を御読みください。定価:本体2800円+税です。

2010年8月13日金曜日

稜威會 夏禊を終えて

平成22年 夏禊記          
 縁がある。禊の先輩は「神に選別されている」と言う。相生之瀧の大神に呼ばれているのかもしれない。戦後今泉定助先生の業績を残すために出来た「日本大学今泉研究所」の所員とその日本精神講座の学生達も、昭和45年頃から60年頃にかけてこの瀧に禊して、その名を記した足洗い用桶が、この禊道場にいまだに残って今回参加の若い女性達が使用している事も縁である。禊を漬物に例えては、いけないかもしれないが、若い人の禊は一夜漬けの様に爽やかであり、中高年のそれは古漬けの沢庵の様に味わいが深い。『大日本世界教教典』「稜威會宣言」に「神より出ずる者は神に還るを知れ」と教えている。人生二毛作を歩む者としては、「人神合一」としての禊に縁として、あと半分の道を歩みだしている。

2010年8月1日日曜日

暑中稽古を終えて

暑中稽古中は朝4時半に起き21時半に寝る生活、全く疲れを感じず過ごせたが、帰宅すると、やはり体のダルさを感じ終日、安藤毎夫著『合気道の解』を詠む。その中で「‘争いが起こる前に抑える、未然に防ぎ、良き方向に導く‘このことこそ合気道の尊い教えなのだ。人類の手で日本神話の世界から連綿と続く‘地球の修理固成・修め、つくり、固め、成す‘時代が来たことを教えている。私は強くそう思う。」合気道開祖植芝盛平大先生、塩田剛三館長、安藤師範の養神館合気道龍と脈々と流れる教えは、今泉定助先生の皇道思想と正に道を同じくしている。混迷の世を生き抜くカギとなる事は確かだと確信して本を読み終えた。

2010年7月26日月曜日

暑中稽古

かつて落合に養神館合気道本部道場が在ったとき7月20日から十日間、朝7時から8時暑中稽古があった。
1月の十日間の寒稽古と合わせ多くの会員の交流と技の確認と共に「合気即生活」の心を新たにした。
今、私はその心を求めて塩田剛三館長の高弟の一人である安藤師範・養神館合気道龍道場で暑中稽古に励んでいる。心は形を求め、形は心を整えると言いますが、安藤師範の技と生活の基にいて塩田館長・植芝盛平大先生のそれを身近に感じている。

2010年7月20日火曜日

陸奥の旅

神道とは何ですかと聞かれたら「敬神崇祖」と答えます。
この1ヶ月前母方の祖父と出会いました。
今泉定助先生が創設された現戸山高校に旧制四中時代国漢の先生として明治・大正・昭和に亘って奉職していた事実が書籍『府立四中都立戸山高百年史』によって確かめられました。写真とエピソードから祖父を始めて身近に感じ取れました。
昨夜陸奥の旅から帰ってきました。これは父方の祖先との出会いの旅となりました。675年前吾が祖先が護良親王をお守りして陸奥に逃れ、亡くなられた親王の墓を「一皇子神社」として創建したと言うわが家の言伝えを石巻で確かめられた事は、父方の祖先をやはり身近に感じ得ました。自分の中に母方・父方のご先祖様がいる「神人合一」が体験そして体感しています。

2010年7月13日火曜日

今泉敬介先生に対する報告会

昨日、強風の中、先生のご自宅へホームペイジ・ブログの開設報告、
また『月刊日本』2008年3月号に「日本文明の先駆者4 今泉定助」掲載報告
今泉先生は坪内隆彦現編集長の「二霊三魂」の説明の良さに感心されていた。
今書店で売られている2010年7月号には「川面凡児」先生の記事が同じく坪内編集長によって掲載されていますので、ぜひお読み下さい。http://gekkan-nippon.at.webry.info/

2010年7月10日土曜日

ご挨拶

今泉定助先生の情報多義に渡り、発信してまいりますのでよろしくお願いします。