2015年10月21日水曜日

屋山太郎氏の『正論』

二十日付の産経『正論』で屋山氏が「対中関係は聖徳太子の頃から「対等外交」を貫いてきた。中国と深くかかわるべきでないとの方針を破ったのがつまずきの始めだった。(三木首相の「対等外交」を指す)」「異形の経済圏に入っていくのだから、リスクは自分で負ってもらいたい。日本企業は中国に2万3千社が進出し、1千万人を雇った。ところが3千社以上が撤退した。引き揚げは続いているが、いかにそれが難しいか知らしむべきだ。」と述べているが不図10数年前の事を思い出した。日中友好団体の講習会担当の職員から中国での商売の難しさ聴いていた時「失敗事例の講習会」が中小企業対象の講習会リストにない事に疑問を感じ聞くと「講習会を行っても誰も参加しないので開けなのです」との事だった。天智・天武天皇時代と同じように「白村江の戦い」で手ひどい火傷を負わなければ分からないと言う事なのかもしれない。

2015年10月17日土曜日

「円鏡」の死

八代目橘家円蔵と言うより「月の家円鏡」ホール・定席で聴く「円鏡」は真剣を構えた凄味があつた。「談志」は人間味で聞きほれた。「志ん朝」は懐かしい四季の空気に身を委ねた。鈴本に行って蕎麦屋で酒でも飲もう。

2015年9月30日水曜日

『五輪書』と『古事記伝』の「日本精神」

宮本武蔵の『五輪書』は年を重ねると共に新たな視点を教えてもらう。合気道修行の日々では「目付け」「太刀の持ち用」を教えてもらい、「国学」を学び神職として「禊・祓い」の日々の今、武蔵が「仏法、儒道の古語を用いず」「日本の精神」を『五輪書』で書き上げたのは正保二年(1645年)と気が付いた。あのミスター「国学」の本居宣長が『古事記伝』を書き上げたのは寛政十年(1798年)その150年前に「仏教、儒教の言葉を借りず」「日本精神」を書き残した武蔵は「国学の先駆け契沖」よりも早く「国学の曙」と言える。新免武蔵守藤原の玄信年もって60歳、寛永10月10日寅の1てんに『五輪書』を書き始める。真もつて凄い男なり。

2015年9月17日木曜日

電子書籍『聖なる天皇の大嘗祭』は過去を知り、現代を考える鍵となる

佐々木聖使著 電子書籍 『聖なる天皇の大嘗祭』 第1章「大嘗祭はなぜ始まったか?」によると先帝の喪葬儀礼を執行する権利を持つことが、次帝として即位するために必要不可欠の時代にあって、天武天皇が先帝の天智天皇の喪葬儀礼に関係できず、その「代用」して「大嘗祭」編み出したとする指摘は正に目から鱗。天武天皇が始めた「大嘗祭」は、その後皇位継承の中心儀礼となった理由は「先帝の崩御・もがり・埋葬」と「即位式」と「新嘗」を集約した祭儀で従来のこれら皇位継承儀礼を行うと同じ意味を持つものとなったからとしている。例えば先帝の崩御と新帝の即位が不可分な時代であった推古天皇は退位出来ず、即位すべき年齢と立場の聖徳太子が新帝になることなく逝ってしまった。しかし「大嘗祭」は、祭儀の中にその両者を含むため、「大嘗祭」を挙行すれば、「譲位」を可能とする新しい皇位継承への道を開いた。 発行「龍声社」

2015年9月13日日曜日

今泉定助先生の遺品

今泉家に保管されている今泉先生の遺品が今月國學院大學に寄贈される。日大の佐々木先生によって整理ファイル化されていたもので、今回の寄贈によって多くの研究者に広く公開され明治、大正そして昭和前期の神道研究に、資することが期待される。

2015年8月17日月曜日

大政翼賛会の成立は日本ファシズムの確立か

伊藤隆著『歴史と私』の中で「つねづね思っているのですが、アウシュビッツや収容所列島とまでいわれた膨大な数の強制収容所を持つような体制こそを、ファシズム体制や共産主義体制を含めて全体主義と呼ぶのが適当なのではないでしょうか。」と「ファシズム論争」の中で述べ「戦時体制イコールファシズムではないはずである」とも言っている。近代史の中で大政翼賛会の成立は日本ファシズムの確立と漠然と思い込まされていたが、大政翼賛会が今泉先生の神道思想を強く受けた今泉先生の弟子達によって成立した事を、今泉定助人物研究を通じて学ぶと違和感を感じていたが、この書によって日本人は日本の近代史にあまりにも無知であること知った。

2015年8月15日土曜日

松岡修造と錦織圭の感覚差

2014年ロンドン、ツアーファイナルでのプレーを錦織選手自身は「神ゾーン」と表現した。松岡修造はそのプレーを見て「スーパーゾーン」という新しい言葉を作ったと、石井大裕のインタビューでこの言葉を伝えたが、錦織選手は、その感覚をまたも「神ゾーンという感じでしたね。」と軽くかわしていた。「神との一体」を感じる錦織選手と「テクニックの究極」と捉える松岡修造、その感覚の差が、世界ランキング4位と46位の差なんだろうか。

2015年8月9日日曜日

31度5分

数日前は36度5分、一番元気な若者が2時間の合気道練習残り10分で熱中症、直ぐに元気になってロードレーサー帰って行ったが、今日の31度5分の道場は過ごしやすかった。体温と気温の関係は人間の動物としての感覚を教えてくれる。体温の高い自分が、子供の時から風邪を引いたことがない事は、指導で体温差を弟子から指摘されて初めて気が付いた。真夏の太陽の下、気も心もワクワクするのは、体温も関係している事を、この夏の猛暑が教えてくれた。

2015年8月7日金曜日

足首の痛み

パソコンの中継機の故障と足首の故障が合わさっての永き沈黙、ソフトがハードに引きずられ時が流れました。いまだ十分といえないが、動かないと動けなる世の常、また歩き始めます。

2015年4月13日月曜日

都の南祭 石清水

二十二社の一つ。朝廷から伊勢神宮に次ぐ第二の宗廟として崇敬受けた石清水八幡宮の澄み切った朝、研修生の大祓詞に唱和、研修時代を想いつつ下山の途中で宇佐八幡大神の託宣以前の男山にます清水の大神、清らかな水にご挨拶、ちょうど開いた山麓の清楚な頓宮を通り抜けての参拝に心も晴れた。

2015年4月12日日曜日

今宮神社の絵馬殿 散策その3

天井を見上げて巨大な絵馬が目に飛び込んできた時、10年近く前の記憶につながった今宮神社。フイルムが流れるように記憶に導かれ境内を巡り、表参道に出ると、門前に、あぶり餅の店が向かい合って二店、雨で冷え切った体に、煎茶が浸み込む、昭和の香り、昔火鉢の傍で焼いて食べたお餅の懐かしい味、ぼんやりと時の流れを感じながらの一時、雨が又好い京都の町。

2015年4月11日土曜日

雨の光悦寺 散策その2

雨に煙る鷹峰三山と対峙する、本阿弥光悦が結んだ草庵の茶室の濡れ縁で、「一生涯へつらひ候事至って嫌ひの人」光悦が、この地で対峙していたのは、光悦を都の辺境に押し込めた徳川家康の生き様だったのではないのかと、ここの大気が体を通して教えてくれている。

2015年4月5日日曜日

京都散策その1

早朝の出町柳駅を降りて下社賀茂「糺ノ森」、都市化と財政が生んだマンション話題、それを身近で感じさせる犬の散歩、何処でも有る朝が聖地に有る、それに競合する、空気で木の葉を飛ばす掃除機の音、早々に去れと神が答えた降り出した雨。上賀茂別雷神社、竹箒の音、稲荷の山に上って雨に煙る京都の町を眺め思う静寂な時間 「永久都の北祭・賀茂」 、

2015年4月4日土曜日

二見浦朝日館と今泉先生

今泉先生の80歳の誕生祝として神宮参拝が昭和17年3月17日実施された。この時宿泊、祝賀の宴が行はれたのが「二見浦朝日館」73年目の同じ3月に訪ねた。参加者40余名の写真に残る賀宴会場と思われる大広間(今は和ダイニングとして使用している)を見学、時を超えてその日を思う。昭和6年12月5~7日に行われた二見浦禊と夫婦岩前の今泉先生の写真を想いうかべての海岸散策、小生としては、9年ぶりの神宮参拝、人生の節目、潮目の変化の年を迎えている今、新たな力を得る旅となった。

2015年3月28日土曜日

カルチャーセンター講師

20代はカルチャーセンターの開かれ明るく楽しい雰囲気が好きで、新宿、渋谷の色んな教室に通った。そのカルチャーセンターの合気道教室で五年間指導出来て、教師冥利に尽きる日々を過ごすことが出来た。養神館合気道落合本部で二十年間、塩田剛三館長の愛弟子達に指導を受け「体感」「体験」「体得」した技を、自分ながらに「体現」した五年間だった。合気道の心と技が教え子達のこれからの人生の支えに役立つ事を念じて、カルチャーセンター講師を辞した。今日早朝から、賀茂、石清水、神宮を巡る旅に出る。

2015年3月26日木曜日

日本国憲法前文の不思議

今日の産経新聞に比較憲法学の西修先生による「日本国憲法前文は①アメリカ合衆国憲法②リンカーンのゲティスバーグ演説③マッカーサー・ノート④アメリカ・イギリス首脳による大西洋憲章⑤アメリカ独立宣言をそれぞれを切り貼りしたものでGHQがたった一週間で作ったのだから無理はない部分もある」と指摘した講演記事が政治部編集委員によって書かれていた。私が最も不思議に感じたのが、この指摘が新進気鋭の若手の研究者によるものでなく、比較憲法学の権威である大学の名誉教授によってなされたもだからだ。それはこれまでも「前文が日本政府案として公表された直後の1946年3月18日アメリカの『タイム』が「模倣がうまい」と辛辣に批評した代物を半世紀以上も後生大事に」『こんな憲法にいつまでも我慢できますか』の様に戦後指摘されて来た「事実」が、良心的な産経すら「なるほどそうかと納得したり」している事実を見ると、日本のマスコミの立ち位置が解る。

2015年3月25日水曜日

合気道審査結果

総合審査の結果、二年に亘って昇級審査にチャレンジしていた青年が漸く合格した。結果を知らせた時の笑顔が素敵、頑張った甲斐があった。二人の女性は残念、しかし安藤師範からの審査後の指導に感激して新たな力を得た様だった。幼年部、少年部は全員合格、内心ほっとしている。若葉のように子供たちは日々悩んだり喜んだりしながらぐんぐんと伸びて行くのに、少しでも力を貸していきたいと常々考えていても、なかなか上手くいかないのが現実、合気道が彼ら、彼女らの心と体を守らん事を念じて、乾杯

2015年3月24日火曜日

練成道場合気道審査最終日

今日で今泉神道練成道場合気道の春期審査が終わった。今回は幼年部、少年部のみの審査となり、担当替えでこれが最後の子供が多く、四、五年に亘り成長と共に指導した日々を思うと、彼らに何を伝え残したか、そしてそれがこれからの人生に少しでも役立っていってほしいとの願いと共に明日本部道場で報告審議を行う。

2015年3月23日月曜日

人生の潮目

薬用酒のコマーシャルではないが、女性ではないが七年毎に人生の潮目が変わる。その渦に乗るかの様に変化に対応していかないと人生を誤ることになる。思う事が未来を開くが、思い続けていても潮に乗るタイミングを逃すと次のステップに進めない。見る目と無欲の姿勢が問われる時でもある。

2015年3月22日日曜日

平成二十七年春の総合審査最終日

愛弟子たちがこもごもの思いを秘めて審査に臨んだ。審査は、私自身にとっても弟子を通した修業でもある。弟子は鏡であり私自身である。私の兄弟弟子が私の直弟子の受けを取ると、何も言わなくとも私の弟子だと技を通して直観する。弟子たちにとっても審査は試練であり自分自身を知り自分を伸ばす格好の機会である。技は一朝一夜で出来るわけてもなく技と会話しながら自分の中で育くむんで行くものでしかない。選ばれた気質の者だけが歩める道かもしれない。

2015年3月21日土曜日

母の教え

東京の四谷生まれの母はせっかちな気性で何事でもテキパキしていた。結婚前は家政科の先生でもあったため、料理作るのも早く片付けるのも早かった。年をとっても新しい料理にも挑戦して喫茶店で出す様な野菜たっぷりのドライカレーを得意としていた。その母が何時も言っていたことは、「野菜を食べなさい」それも大量に、そのためには生野菜ではなく、温野菜しておくこと。独身時代には、兎に角、ほうれん草を代表に野菜を茹でてラップに包み冷蔵庫に常備して置くこと、そうすれは、朝でも手軽に味噌汁にもなり、お浸しにして酒のつまみにもなると言われ実行していた。またそのみそ汁も具だくさんにしなさいと言い高野豆腐の様な常備食材に何種類の野菜を入れること教えてくれた。そのおかげで野菜を取ることが常態化して、二日酔いで休んでも、風邪で休んだ記憶がないほど、今まで病気らしい病気はしたことがない。体に染み込む習慣としてくれた母の教えにしみじみと感謝している。

2015年3月20日金曜日

春の訪れと審査

風呂上がりに水をかぶり出して30年以上になる。審査を終えて帰っての水シャワーは最高で今日のは特に春を感じさせ心が躍る。そこで審査、少年部の年少クラスはジュニア大会の影響で審査稽古不足、動きが鈍くたどたどしく審査結果はおぼつかない。ボーダーラインの子供達の対応を考えながら本部道場に向かう事になった。

2015年3月19日木曜日

合気道総合審査が始まる

養神館合気道龍「春の総合審査」が始まる。それに合わせて各支部道場でも審査を行い、私の担当教室や今泉錬成道場も審査を行うが、今回は幼年部、少年部のみの審査となったので、子供たちの合気道身体動作に付いて感じている事を述べると、子供たちの動きで注意しなければいけないのは、頭の位置、大人でも五キロの頭の動きで姿勢のブレが起きる。ましては幼年部の子にとっては、首がシッカリしていないため、頭の動きであちにヨロヨロこっちにヨロヨロしてしまう。少年部低学年でも前足を曲げるとバランスを取るため体を反らしてしまう。前足を軸にして後ろ足を後方に回転する「体の変更㈡」も低学年には頭を軸にしての回転は難しい動きとなる。二足歩行した人類の歩みを改めて感じさせてもらった審査稽古となった。

2015年3月18日水曜日

コマーシャルが教えると人生観

印象的な人生観を伝えるコマーシャルの一つに、人生をエレベーターに例え、青年が人生の各階の先輩を訪ね話を聴く物がある。テレビを見ていると自分の人生に重ねて話を聴いてしまう。人生のエレベータは各駅停車の様だが、あっという間に過ぎた一年もあり、また雪道を歩くように深く一歩づつ過ごした年もあった。その一年が振り返ると五年、十年の節を作っていて、自分の生き様が表れている。自分の人生観は、その節を集めて、生まれて七年は神の子として生き、次の二十五年は自分を知る為に生き、次の二十五年は家族の為に生き、次の二十五年は社会の為に生きる、と思い定めて人生を歩んでいる。

2015年3月17日火曜日

気になる春日

三社託宣の春日、ミステリアスな式内社で、且つ国学を学ぶ者として全てまわる廻らければいけないと思い巡った二十二社の一つ、最も気になる人物の一人、藤原不比等の創建と伝えられ、鹿島神宮の御祭神が鹿に乗りなってお遷りになったと言われている事等と、十年前と訪ねた時の三笠山の秋の夕暮れ、鳴く鹿、朱印帳の字の美しさどれをとっても心に沁みる不思議な魅力に満ちた神社それが春日大社。

2015年3月16日月曜日

神社の代表的三社とは何処

神社の代表的三社は三社託宣のためか、「伊勢」「八幡」「春日」と思われている。三社託宣とは三神の神号(神の称号)と託宣(神の意志、お告げ)を記した信仰対象の掛物のことで、現代でも1月の「おびしゃ」講の時、私達も使用している「伊勢」「八幡」「春日」の三社の託宣が中世以降流布してこの三社を指す様に思われている。しかし本来三社とは「伊勢」「石清水」「賀茂」を意味していたが吉田神道の吉田兼倶の『三社託宣本縁』の影響が大きく、その後もこの三社託宣が多く人々に支持され大量の掛物等が庶民向けに制作され各地に講が結ばれ現代に至っている結果によるもだと思う。

2015年3月15日日曜日

古文書の会

今、読んでいる古文書は地元の江戸時代初期、1676年・延宝四年の文書、住む人がいなくなった「潰れ屋敷の処理」と言う現代に通じる空き家問題、年表を見ると、将軍は四代家綱、後見人の保科正之が死んで4年、1670年東海道・関東洪水、1674年諸国飢饉、いつの世も民衆にとっての不安は多いく、時の政府は人心を如何に収めるか頭を悩ませる。人間進歩を謳う西欧思想が如何にくだらないかが、古文書は教えてくれる。国民性、地域性は、風土と自然から作られ育まれ変化はしないと考える。

2015年3月14日土曜日

榊についての思い

「榊」は祭祀の際に玉串、神籬などとして神前に供えられる木として、知られている。土地によっては榊が育たなく樫、杉、柘植、樅等で代用されそうです。事実、東北の神社での修業時代神社の森の中、数少ない榊を探してさまよった事を思い出す。昨年新潟での祭事に際して榊の有無を新潟神社庁問い合わせてから出かけ、有るとの答えを得ていたので地元の人に聞いたが分からなかった。しかし神社の境内を探すと、やっぱり一本植えてあった。昔、神社の奉賛会事務局時代、祭事に備えて境内に植えてもらったことがあったため、同じ苦労を地元の氏子の人々もして対応していたことが知ってなっかしく楽しくなった事を思い出した。

2015年3月13日金曜日

養神館合気道指導法

養神館合気道には、指導法と言う資格がある。十年以上前に取得したが、自己責任で弟子を教えだしたのは、五年前でしかない。この五年間の指導は、教えると言うより自分の合気道の再構築、今までの一面体の合気道関する「動態」を多面体に捉えなおすことの連続だった。教えると言う事は教えられる事と良く人は言うけれど、それは簡単に教えてくれない。自分に教えてくれるのは、我慢、辛抱、工夫の後に、ようやくやって来る物と感じている。家康の言葉の重さを体で感じる日々を過ごせる幸せに感謝している。

2015年3月12日木曜日

神器の絵付け

神道の神器は「かわらけ」で代表される、素焼きでシンプル、質素を旨とする。釉薬を上掛けした物も、磁器の白磁、青磁、陶器なら自然釉薬、白萩等清楚な白系が望ましいと考えていた。今、呉須を使った絵付けにハマってくると、お神酒徳利を初め、神器にダミをした上に呉須で文様を書き込んだ陶器を制作してみたくなり今回ためしてみた。出来上がりは、神様が喜ばれる物となるか楽しみにしている。

2015年3月11日水曜日

塩田剛三館長の御身技

養神館合気道塩田剛三館長の「御身技」はビデオ等で多くの方が御存じかと思いますが、自分としては理合いは分かるようになってきたが、「体感」「体験」したことがないため、解らないと言うのが本音だった。そして今日養神館合気道龍の安藤先生の「御身技」の指導の中で受けを多種多様、今日取らせて頂いた。その中で後ろから腰に抱き着き持ち上げに対して塩田剛三館長が行ったと同じ技を受けることが出来た。見た目では安藤先生の動きは館長と同じく少なく、しかし肩甲骨に強烈な力を感じ痺れが残った。「体感」「体験」出来て最高の一日となった。

2015年3月10日火曜日

新学期、新年度かな今日も入門者

新学期、新年度が近づいたせいかもしれないが、今日もまた新入門者、前回と同じこわもての顔に似合わず(失礼)素直に指導を受け入れ基本の「右半身構え」「左半身の構え」「正座法正座」「膝行法」を鏡の前で、前回入門者と黙々と一時間近く続けていた。新政府によって、明治初期にフランス式の軍制を取り入れてから、日本人の体から抜け落ちてしまった古来から培われた身体の運用形態を、体に呼び戻すことから武道としての合気道の修業が始まる。

2015年3月9日月曜日

「学童疎開」新聞記事

今日の産経新聞記事「学童40万人を疎開 2人の将校」 上田昌雄少将の学校単位の学童集団疎開計画の法案に対して、東条英機首相兼陸相は「国民の士気に悪影響する」と反対し、それでも食い下がると「西洋かぶれ」と怒鳴られ、一方、東条氏に帝都防衛を指示された辰巳栄一中将の学童疎開の進言に対しても東条氏は「国民精神の基盤は家族制度であって、死なばもろともという気概が必要」とし疎開はもってのほか」と反対したと言う。そこで辰巳氏は「大政翼賛会」に働きかけて賛同を得たと記されていた。東条首相は今泉貞助先生の中学時代の教え子、「大政翼賛会」は今泉先生の多くの弟子・信奉者が関わっている。今泉先生は首相時代の東条氏に面談し「日本精神」に基づく苦言を呈して、これによって東条氏は逃げ回っていたと聞いたことがある。東条氏の「国民精神」と今泉先生の「日本精神」の違いが「学童疎開」計画に色濃く反映している。

2015年3月8日日曜日

合気道総合審査申し込み

合気道総合審査申し込み〆切りを迎えている。普段冷静に審査受付に対応してきたが、合気道総合審査の有段の部の審査を久しぶりに見てから 合気道総合審査の〆切りを迎えている今日この頃、普段は冷静に審査申し込みを受けていたが、久しぶりに「総合審査有段の部」を見てから、体が疼くと言うか熱くなるのが止められない。特に「多数取り」に熱く思える内に審査に臨まねばと思う。五段審査は、この年になると命懸けの思いもある。神輿渡御の掛け声「明日はないよ」が心で叫ぶ。体力の衰えを考えると時間と体力の勝負となっている「明日はないよ」。

2015年3月7日土曜日

師匠と弟子の関係

師匠は最高、一流に付かなければならない。自分が凡庸であればあるほど、絶対的条件となる。一流のそばにいるだけで弟子は修行になる。そばにいてどんなに修業が厳しくても、楽しくないのなら、その師匠と相性が悪いか、その学びが自分に向かないのだから、離れるか止めなければならない。時間の無駄でしかない。その師匠の下、黙ってひたすら十年は、「体感」「体験」の修行しなければいけない。文句、意見、はまさしく十年早いと言うものだ。そして十年たったら今までの疑問点の検証、研究を通じた「体得」の十年としなければいけない。そして二十年目からは、「体現」「体顕」の時を迎えねばいけない。自分は師匠に恵まれた人生だが、師匠から見て良い弟子であったのか、今しみじみと思い返している。

2015年3月6日金曜日

「身の丈」に合った生き方

人生を三年と四年の七年を1サークルとして前期、中期、後期の二十一年の階段として人生を捉えて生きてきた。そして國學院のエス教授から『「身の丈」に合った生き方をしろ』と指導を受けたが、生きようが掴めなかった。天狗にならず、卑下もせず、自己を冷静に見つめる事なのだろうが、現実に向かい合った時、それが掴めなかった。しかし今日老いとの語らいの階段の中で幾らか、体から教えられてきた様だ。無理なのか、怠惰なのかの日々の歩みの中で「体感」している。

2015年3月5日木曜日

子供の教育信条

子供も教育についての、信条を述べると第一に子供を褒める、肯定する事を前提にしている。女の子に対しては「美人だ、美人だ、」と言って育てると美人ないしそれに近くなる。そして「親として絶対にお前を守る」と言い続けると安心して成長して行く。どんな時でも、「ぶす、馬鹿」と言ってはいけない。男の子は認めてやる事が大切だと感じている、どんな決断でも自分でしたのなら「良くやった」と褒める、親から見て不本意な大学、就職であっても「頑張ったな、これからも頑張っていけ」と言えば、また努力を続けていく力が湧くはずだ。親が認めずして誰が認めると言うのか。「孫は子供より可愛い」と子供の前で言う人がいるが、そんな事は思っても言ってはいけない。

2015年3月4日水曜日

生涯大学校校友会の集い

生涯大学校、親の代では老人大学と言っていた学校の卒業生の集まりに参加した。高齢者の集まりに参加するといつも気になるのは「色気」がある人とない人にはっきり二分される事、自分では、高齢者と思っていないが確実に齢を重ねていることは確かで、「色気」のない人間にはなりたくないと思っているが、どうすればいいのかいまだ分からない。「笑い顔」が素敵、これは確か、それ以外が、良く分からない、「好奇心」これはあるが、それだけでよいのか、「思いやり」当然だな~、年と共に干からびていく皮膚と同じように感性もひっからびない様にしなければいけない事は確かだ。

2015年3月3日火曜日

合気道審査稽古の一日

終日、合気道錬成道場での審査に向けての稽古、会員の十人十色の個性と関わる指導は、楽しく味わい深い時間となってなっている。年齢、性別に始まり体型、性格から発する審査に向けての限られた時間による緊張感の中での合気道の技に対する各自の感性は、その人の人生の歩みそのもの、それに寄り添いながらの指導は、逆に合気道の技の奥深さを私に教えてくれると共に、合気道のバックボーンである武道の歴史、大和魂を生んだ日本の歴史をより深く学べと教え諭している。

2015年3月2日月曜日

『百人一首』の和歌

『百人一首』の和歌の中で好きな歌の一つ、三条右大臣「名にしおはば逢坂山のさねかづら人に知られでくるいしもがな」に人生を重ねて若やいでいたが、旧人知人の訃報を受ける日々ともなると、数十年前が昨日の事のように思い出され、何か取り残された様な悲哀を感じ、藤原興風の「誰をかもしる人にせむ高砂の松もむかしの友ならなくに」に心が魅かれる。「今ここに」しか居ない人生、今日を生き切る大切さを思い知れ。と自戒する日々

2015年3月1日日曜日

古文書を親しむ

時折、碑文等の文章を解読をしたり依頼されたりするが、不勉強の為苦労している。そのため地元の勉強会に参加して古文書に親しむ様にしている。数多く読むことが一番なのだが、なかなか難しく、限られた時間の中で行っていて楽しいのは、筆で古文書の文字を写し取る事、そうすると続け文字と一体になって字が見えてくる。書道の先生が掛け軸等自由に読まれている理由もうなずける。文字の流れに筆で乗ると書いた人間を身近に感じ不思議な心持になる。まさしく体感。そして体得となるには長い修行が待っている。

2015年2月28日土曜日

ろくろを通しての土との会話

ろくろを使っての花器の高台削り、土の硬さによって削り跡が変化する。今回は飛びカンナの様な、まだら模様が残った。心の在り様が、形に表れる様だ。荒練り、菊練りを怠った粘土は、ろくろの上で踊り手が付けれない。地道な努力、当然な行為を怠ると結果は出ないということか。

2015年2月27日金曜日

合気道と旅立ちの日

午前中に行っていた合気道龍本部道場特別コースの青年が終了を待たずに止めていくと挨拶をしていた。高校卒業後合気道づくめの生活一年過ごし進学か就職か、合気道の内弟子になるか悩んでいたようだが、就職することを選んだ様だ。若い人が閉塞感の中でも、戸惑いながら元気よく旅立ちを迎える姿を見ると心躍るものがある。午後には合気道教室で5年間教えた少年二人が、中学進学のため今日で止めますと、言いに来た。前からこの話を聞いていたが、手を焼いた子、真面目に通っていた子、それぞれだが、合気道を通じて得た日本の心が、その将来にきっと役立つと信じて、頭をポンポンと叩いて送り出した。今日は合気道巡る旅立ちの一日となった。

2015年2月26日木曜日

冬籠りに似たり「本焼き」の日

昨日とは打って変わって、冷たい雨が降る、やきものの「本焼き」の一日。1,250℃に向けて、「あぶり」に始まり「ねらし」に終わる11時間、冬籠りに似て陶芸談義、暖炉を囲むように「窯」を周りで至福の時が過ぎる。

2015年2月25日水曜日

やきものと釉薬そして窯詰め

釉薬はやきもの素地の表面に塗布して、ガラス状の被膜を作るもので、うわぐすりとも言が、前回トルコブルーを掛けた花器が面白みが出ず、今回飴の釉薬を上掛けし、更に白萩釉を掛けてみた。陶芸を習い始めた時は、釉薬調合の三角座標を学び色見本を作ったが、全く興味がわかず忘れていたが、釉薬の魅力に取りつかれた今は学び直そうと考えている。窯詰めも終わった今日明日朝一番で、あの窯場で「本焼き」を行う。「登り窯」の様にグラフ付けての1250℃に向けての手作業での12時間は、また魅力的な空間を作り出してくれる。

2015年2月24日火曜日

今泉錬成道場の入門者達

今泉錬成道場に今日も新たな入門者があった。しかし入門者の半数者近くが今まで道場を去って行き、就職・進学・転任・怪我等と色んな理由があったが、何となくほっとして辞めていった者と残念無念の気持ちを残して去って行った者が、あるように最近思い気になりだした。人生に対する姿勢と言うか気質の問題に関連しているとの思いで、合気道の絞め技に特化して言うと、二ヶ条締めに対する反応では、幼稚園児でも青年でも女性でも、締められた痛さに嬉しそうに笑い出す者と苦悩の表情を浮かべて耐える者のはっきり二分される。痛さを痛さとして捉える人は、真面目に人生を正面で捉え過ぎているよう感じる。合気道の締めは、身体を壊す訳でなく多少痛いが、技を素直に受け入れると、逆に肩の凝りが取れる。人生を肩の力を抜いて歩んで行けと合気道は教えているのかもしれない。

2015年2月23日月曜日

やきものの焼成「素焼き」

やきものの焼成「素焼き」は、乾燥させた作品を800度で焼き締め、このことにより強度が増し、吸水性も高まり、施釉がしやすくなる。通常の窯はコンピュータ処理でボタン1つで帰ってしまえるが、今回で4回目のこの窯は、30年前の手動式で、最初は呆れたがやってみると「登り窯」の様で折れ線グラフ付け温度調節をしながら、みんなでワイワイ言いながら酒を酌み交わす事が、また一つ味わいのある時間となっている。今日は春を思わせる陽気で、身も心も心地よい1日となつた。

2015年2月22日日曜日

「二毛作」の人生を歩む

「二毛作」とは、一年のうちに二回、同じ耕作地で違う作物(米・麦)を栽培すること。これに対して「二期作」は、一年に二回、同一の作物(米)を栽培し収穫すること。人生で例えば「二毛作」の人生は、全く毛色も形態も違う業種を一生のうちに二回生きる事、「二期作」の人生は、一つの会社の関連会社を渡り歩く、同業他社をキャリアアップして行く事で、嘗ては一つの団体(会社)で終わる人生「一期作」が多かった様だ。人生「二毛作」と「二期作」の大きな違いは、二度若い人達とゼロからの修行を行う事と考えている。

2015年2月21日土曜日

柞灰(いすばい)の花器の出来上がり

還元で焼成した柞灰の花器は、木灰を釉薬として登り窯で焼き上げた作品に近い風合いに仕上がった。酸化の方と言うと、黄瀬戸を薄くかけた面白みが、少ない出来となった為、再度今度は黄瀬戸を濃くかけて還元で焼成してみようと思っています。ところでお詫びしなければいけない件があります。 柞灰に二つまみ入れたのは、珪酸銀でなく珪酸鉄の誤りです。金、銀の上絵付けを考えていたので、うっかりしてしまいました。お詫びして訂正します。まだまだ未熟、しかし楽しい修行時代を迎えています。

2015年2月20日金曜日

二十五年で迎えた「体現」の日々

「体験」は修行の日々で十年、「体得」は研鑽の日々で十年、「体現」は次の世代への伝言で、命終えるまでと考えてきたが、養神館合気道本部道場でひたすら四段を目指した十年、本部道場と掛け持ちで支部作り、支部運営に励んで指導者資格を取った十年、そして今、今泉錬成道場で指導を初めて五年を迎えている「体現」の日々、何をどう伝えるか考え続けている。合気道は何かの答えは、二十年関わった神社奉仕と十年学んだ國學院大學を通しての神道思想をどう体現、体顕して行くかでもある。自分自身の歴史の中から紡いだ言葉を伝える楽しさと責任を感じる日々が今日も終わった。

2015年2月19日木曜日

「競輪」考

「競輪」そうギャンブルの競輪は、「日本精神」そのものと言える。海外のギャンブルは馬、犬等の競争が賭けの対象で、人間の脚力そのもの、一人一人が対象のものはない。キリスト教は、人間の罪を内在として捉えるそうだが、神道では罪、穢れは白玉に付いた泥の様に洗い流せて、人間を純真なものとして捉えている。その人間は全力で自転車レースをし、地域の人間関係でラインを組み、脚質(先行・捲り・追い込み)によって位置を決め、ギヤ倍数によって動くタイミングを計ると、日本人は考え推理するからギャンブルとして成立している。競輪選手一人に全幅の信頼を寄せている。人間への信頼それが「日本精神」の基本にある。春間近になったら「旅打ち」に出かけてみませんか。

2015年2月18日水曜日

武器技

武器技の一つである剣操法六本を久しぶりに練習した。剣さばきは当然として仕手受け二者間の間合い呼吸が合うと爽やかな心持になるが、練習不足の身としては、歯がゆさが残るのみ。日々の研鑽あるのみ。反省

2015年2月17日火曜日

新規入門者

今泉錬成道場に、新しく男性が入門した。前回見学に訪れた時は、帰り際に三ヶ条連行法を教えて下さいと言っていたが、入門初日は、鏡の前で、「右半身の構え」「左半身の構え」「正座法」「膝行法」を一人黙々と練習を続けていた。養神館合気道は、基本の動作が身につくまで「技」に入れない。これを楽しく続けられる事が相性と言える。この男性はその一歩を歩みだした。

2015年2月16日月曜日

ウォーキング講座

歩き好きの自分だが、専門家の指導を初めて受けて、人体の妙を改めて知る事が出来た。「シューズの購入」は夕刻の事(骨の間が人によって2センチ朝起きてから伸びる)、日本人の足に合った日本製(ミズノ、アシックス)。「筋肉を作る」ではアミノ酸(アミノバイタル)を運動の前後に摂取する事。「姿勢を作る」では、横から見て踵から頭が一直線(頭の重さ5キロ)、歩き出しは母指球に体重を移動、腕の振りは振り子の原理、そして最後の「ストレッチ体操」は、必修(日々の練習の疲労を素早く抜く事は練習と同じくらい大切)。準備体操は良くやるが、ついつい終わった後のストレッチを怠っていて、自分の足腰の痛みの原因を作っていた事が再確認出来た。姿勢を作る事は、武道の動きに通じて大変参考になった。

2015年2月15日日曜日

神前結婚式祭式

結婚式場を合気道本部道場に定め、お二人の武道家が神前結婚式を執り行う、皇大神との取り持ちとしての祝詞の言霊、直会(なおらい)としての披露宴は、神との供食を通しての「神人合一」、神前結婚式は「日本精神」の体現そのものであります。お二人に永く守護を垂れ給われんことを。

2015年2月14日土曜日

作陶の日々

珪酸銀を2ツマミを柞灰(いすばい)カップ1杯に入れ、この灰を手に、こんもり持ちCMC(陶芸用のり)入りのコンプレッサーで素焼きした作品に吹きかけると、本焼きした後、登り窯で焼いた様になると聞き、酸化と還元の両方で花器を焼いている。陶芸は火と土そして釉薬の妙で正しく開けて見なければ分からない神秘さに魅かれる。

2015年2月13日金曜日

明治天皇御製

明治天皇御製「よもの海みな同胞と思ふ世に など波風のたち騒ぐらん」は時代を超えて心に響いてくる。西郷隆盛が、福沢諭吉が近隣諸国に連帯し挫折し絶望した時代の様に現代にあっても、近隣諸国に連帯し挫折し、絶望している状況に対して、明治天皇御製は「いかならむ ことにあひても たゆまぬは わがしきしまの 大和魂」と教え諭しています。天武天皇も同じ様に、大陸での敗戦を通じての連帯、挫折、絶望から『古事記』を残そうと思い立った感じています。『古事記』を日本の羅針盤とて読み解く時が来ています。

2015年2月12日木曜日

神前結婚式「盃の儀」考

神前結婚式における新郎新婦が神酒を拝戴する「盃の儀」は、三々九度としては次の順序によるのが正しいとされている。 「一の盃」先づ新郎、次に新婦、次に新郎、終って納盃。 「二の盃」先づ新婦、次に新郎、次に新婦、終って納盃。 「三の盃」先づ新郎、次に新婦、次に新郎、終って納盃。 童女一員の盃所役・銚子所役の動きが多く回数を減じているのが、現代風なのかもしれないが、神饌たる御神酒を三々九度と重ねていただく事により「神人一体」「神人合一」の神道思想を体現する神前結婚式本来の形と考える。

2015年2月11日水曜日

第11回合気道ジュニア大会感

今年のジュニア大会は暖かく子供達も伸びやかに演武行えたようだ。何時も感じることだが、低学年の部(小学1年生~3年生)の演武は、正しく地上の天使、審判団の一人として瞬時に序列化をしなければならないのだけれど、感動して目がうるうるして見とれてしまう。高学年の部は、きびきびして健気さに感動、中高生の部では、これに力強さが加わり見とれてしまう。少年少女達の演武に心洗われる一日となった。感謝

2015年2月10日火曜日

神饌の思い

神饌を供する順序は、概ね和稲、荒稲、酒、餅、海魚、川魚、野鳥、水鳥、海菜、野菜、菓、塩、水としているが、現在は米、酒、魚、海藻、野菜、果物、塩、水で、魚は鯛ではなく、乾物で行っている。むかし式内社の神社て修行していた時、神饌のイナダを猫から守るのに苦労したこと等を懐かしく思い出す。熟饌「調理饌」は祭りの最後に参加者一同で会食し「神人合一」の世界を作り上げる重要な要素であること思えば、日々の日供の神饌、米、酒、塩、水と今時はミカンへ、同じ思いを忘れてはいけない。 

2015年2月9日月曜日

養神館合気道『張る』

日本は言霊の国と『万葉集』で歌われていますが、養神館合気道の神髄のひとつに『張る』があると感じます。『張る』は「春」であり生命の伸び行く力であり、養神館合気道は「構え」に始まり「構え」に終わると教えていますが、「構え」は正に『張る』を体現しています。合気道の動きの中に「構え」が在り、『張る』がなければ、合気道と言えないと思い至っています。

2015年2月8日日曜日

九谷焼の藍

今、九谷焼の藍に強く魅かれる。妙泉陶房の流れを汲む指導者に教えを受けているが、藍が調合呉須これは、粘土とコバルト、マンガン等を合わせたものだけでなく、天然の中国呉須を加え更に弁柄を加えて、あたかも鰹節、昆布等々を加えて創り出した出汁の様な豊な風合いを醸し出している。江戸時代幕府の政策もあって藍の着物が流行っていたそうだが、かつて徳島に旅をした折、藍の作務衣を購入し今も愛用しているが、日本人にとって藍は日本の精神性と強く繋がっていると感じてならない。

2015年2月7日土曜日

合気道ジュニア大会

子供達は中学進学、英語塾での勉強等々の中でクールに人生を感じている。その中にあって、合気道指導者として、子供達の将来に役立つ精神、技術を残せるか、それに対して全力努力しているかジュニア大会を通して自問する日々となっている。

2015年2月6日金曜日

竹岡俊樹著『考古学崩壊』

アマチュアの藤村新一による20数年間に及ぶ「前期旧石器遺跡捏造事件」について、今まで釈然としない思いが残っていたが、この竹岡氏の著で腑に落ちた。 著者に言わせると「日本の考古学の専門家は、縄文石器と前期旧石器とが見ただけでわからなくて、例えば八百屋がマツタケとシイタケを間違って売っている様なもので、考古学者はマツタケとシイタケも見分ける目がなかった。この学問の基礎はヨーロッパで確立されている「形式学」(石器を観察分析すること)を固めることでしかないとし、事件後の検証作業を通して学会、大学教授等に提案し講習会を実施してきたが、黙殺、締め付けで旧態依然を決め込み、時の経過で国民が忘却する事を待っている。」としている。正しく『考古学崩壊』である。

2015年2月5日木曜日

吉本隆明『共同幻想論』

『共同幻想論』が、国家の成り立ちの起源を『古事記』と『遠野物語』を徹底的に読むことで明らかにした書であることを、今日の産経新聞で知った。 むかし大学の文化祭講演で学生の奇妙な質問に戸惑っていた先生を懐かしく思い出した。『古事記』をバイブルとしている自分としては、難解とされているこの書に対し再度読まなくてはいけないと感じた。