2011年2月15日火曜日

國學院大學伝統文化リサーチセンター研究フォーラム

「國學院の学術資産に見るモノと心」研究プロジェクトによる研究フォーラム「皇典講究所・國學院と『古事記』研究」が2月12日氷雨舞うなか実施された。前古事記学会代表理事菅野雅雄先生の基調講演に始まり、國大若手の研究者二名による発題・國大の先生二名によるコメントそして総合討議と続き内容は私の研究テーマ今泉定助の歩いた道そのもので勉強になるフォーラムとなった。その中で管野先生が幕末維新の混乱を乗り越えるために皇典講究所が設立された事を、自分は第二次世界大戦の敗戦による混乱を体験した事で感じ取る事が出来、そして天武天皇の壬申の乱の混乱の対応として『古事記』が生れたと確信出来たと言われた。これは今泉先生の言われる體験、體得、體察で研究者しての大切な感性であり姿勢なのではないか。またコメントの中で嵐義人國大教授が明治15年欧風文化に対して設立された東京大学文学部付属古典講習科は二期で終わったが、その流れは國學院大學が引き継ぐとして、これに戸浪裕之國大DP研究員が今泉定助先生(当時は佐藤定介)を例に挙げ応えていたが、正に皇典講究所前史である大教宣布運動に尽力し神道事務局の支局長として神社行政に当った山田信胤に厳しく教育を受け、そして上京神道事務局生徒寮で学び東京大学文学部付属古典講習科国書課一期生として卒業、皇典講究所付属補充中学の設立に関わり後、教頭。國學院開校に係わり開校と共に講師と今泉定助の歩みそのものが神道を中核とする伝統文化研究・教育の歩みと言えるのではないか。

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