2015年3月28日土曜日
カルチャーセンター講師
20代はカルチャーセンターの開かれ明るく楽しい雰囲気が好きで、新宿、渋谷の色んな教室に通った。そのカルチャーセンターの合気道教室で五年間指導出来て、教師冥利に尽きる日々を過ごすことが出来た。養神館合気道落合本部で二十年間、塩田剛三館長の愛弟子達に指導を受け「体感」「体験」「体得」した技を、自分ながらに「体現」した五年間だった。合気道の心と技が教え子達のこれからの人生の支えに役立つ事を念じて、カルチャーセンター講師を辞した。今日早朝から、賀茂、石清水、神宮を巡る旅に出る。
2015年3月26日木曜日
日本国憲法前文の不思議
今日の産経新聞に比較憲法学の西修先生による「日本国憲法前文は①アメリカ合衆国憲法②リンカーンのゲティスバーグ演説③マッカーサー・ノート④アメリカ・イギリス首脳による大西洋憲章⑤アメリカ独立宣言をそれぞれを切り貼りしたものでGHQがたった一週間で作ったのだから無理はない部分もある」と指摘した講演記事が政治部編集委員によって書かれていた。私が最も不思議に感じたのが、この指摘が新進気鋭の若手の研究者によるものでなく、比較憲法学の権威である大学の名誉教授によってなされたもだからだ。それはこれまでも「前文が日本政府案として公表された直後の1946年3月18日アメリカの『タイム』が「模倣がうまい」と辛辣に批評した代物を半世紀以上も後生大事に」『こんな憲法にいつまでも我慢できますか』の様に戦後指摘されて来た「事実」が、良心的な産経すら「なるほどそうかと納得したり」している事実を見ると、日本のマスコミの立ち位置が解る。
2015年3月25日水曜日
合気道審査結果
総合審査の結果、二年に亘って昇級審査にチャレンジしていた青年が漸く合格した。結果を知らせた時の笑顔が素敵、頑張った甲斐があった。二人の女性は残念、しかし安藤師範からの審査後の指導に感激して新たな力を得た様だった。幼年部、少年部は全員合格、内心ほっとしている。若葉のように子供たちは日々悩んだり喜んだりしながらぐんぐんと伸びて行くのに、少しでも力を貸していきたいと常々考えていても、なかなか上手くいかないのが現実、合気道が彼ら、彼女らの心と体を守らん事を念じて、乾杯
2015年3月24日火曜日
練成道場合気道審査最終日
今日で今泉神道練成道場合気道の春期審査が終わった。今回は幼年部、少年部のみの審査となり、担当替えでこれが最後の子供が多く、四、五年に亘り成長と共に指導した日々を思うと、彼らに何を伝え残したか、そしてそれがこれからの人生に少しでも役立っていってほしいとの願いと共に明日本部道場で報告審議を行う。
2015年3月23日月曜日
人生の潮目
薬用酒のコマーシャルではないが、女性ではないが七年毎に人生の潮目が変わる。その渦に乗るかの様に変化に対応していかないと人生を誤ることになる。思う事が未来を開くが、思い続けていても潮に乗るタイミングを逃すと次のステップに進めない。見る目と無欲の姿勢が問われる時でもある。
2015年3月22日日曜日
平成二十七年春の総合審査最終日
愛弟子たちがこもごもの思いを秘めて審査に臨んだ。審査は、私自身にとっても弟子を通した修業でもある。弟子は鏡であり私自身である。私の兄弟弟子が私の直弟子の受けを取ると、何も言わなくとも私の弟子だと技を通して直観する。弟子たちにとっても審査は試練であり自分自身を知り自分を伸ばす格好の機会である。技は一朝一夜で出来るわけてもなく技と会話しながら自分の中で育くむんで行くものでしかない。選ばれた気質の者だけが歩める道かもしれない。
2015年3月21日土曜日
母の教え
東京の四谷生まれの母はせっかちな気性で何事でもテキパキしていた。結婚前は家政科の先生でもあったため、料理作るのも早く片付けるのも早かった。年をとっても新しい料理にも挑戦して喫茶店で出す様な野菜たっぷりのドライカレーを得意としていた。その母が何時も言っていたことは、「野菜を食べなさい」それも大量に、そのためには生野菜ではなく、温野菜しておくこと。独身時代には、兎に角、ほうれん草を代表に野菜を茹でてラップに包み冷蔵庫に常備して置くこと、そうすれは、朝でも手軽に味噌汁にもなり、お浸しにして酒のつまみにもなると言われ実行していた。またそのみそ汁も具だくさんにしなさいと言い高野豆腐の様な常備食材に何種類の野菜を入れること教えてくれた。そのおかげで野菜を取ることが常態化して、二日酔いで休んでも、風邪で休んだ記憶がないほど、今まで病気らしい病気はしたことがない。体に染み込む習慣としてくれた母の教えにしみじみと感謝している。
2015年3月20日金曜日
春の訪れと審査
風呂上がりに水をかぶり出して30年以上になる。審査を終えて帰っての水シャワーは最高で今日のは特に春を感じさせ心が躍る。そこで審査、少年部の年少クラスはジュニア大会の影響で審査稽古不足、動きが鈍くたどたどしく審査結果はおぼつかない。ボーダーラインの子供達の対応を考えながら本部道場に向かう事になった。
2015年3月19日木曜日
合気道総合審査が始まる
養神館合気道龍「春の総合審査」が始まる。それに合わせて各支部道場でも審査を行い、私の担当教室や今泉錬成道場も審査を行うが、今回は幼年部、少年部のみの審査となったので、子供たちの合気道身体動作に付いて感じている事を述べると、子供たちの動きで注意しなければいけないのは、頭の位置、大人でも五キロの頭の動きで姿勢のブレが起きる。ましては幼年部の子にとっては、首がシッカリしていないため、頭の動きであちにヨロヨロこっちにヨロヨロしてしまう。少年部低学年でも前足を曲げるとバランスを取るため体を反らしてしまう。前足を軸にして後ろ足を後方に回転する「体の変更㈡」も低学年には頭を軸にしての回転は難しい動きとなる。二足歩行した人類の歩みを改めて感じさせてもらった審査稽古となった。
2015年3月18日水曜日
コマーシャルが教えると人生観
印象的な人生観を伝えるコマーシャルの一つに、人生をエレベーターに例え、青年が人生の各階の先輩を訪ね話を聴く物がある。テレビを見ていると自分の人生に重ねて話を聴いてしまう。人生のエレベータは各駅停車の様だが、あっという間に過ぎた一年もあり、また雪道を歩くように深く一歩づつ過ごした年もあった。その一年が振り返ると五年、十年の節を作っていて、自分の生き様が表れている。自分の人生観は、その節を集めて、生まれて七年は神の子として生き、次の二十五年は自分を知る為に生き、次の二十五年は家族の為に生き、次の二十五年は社会の為に生きる、と思い定めて人生を歩んでいる。
2015年3月17日火曜日
気になる春日
三社託宣の春日、ミステリアスな式内社で、且つ国学を学ぶ者として全てまわる廻らければいけないと思い巡った二十二社の一つ、最も気になる人物の一人、藤原不比等の創建と伝えられ、鹿島神宮の御祭神が鹿に乗りなってお遷りになったと言われている事等と、十年前と訪ねた時の三笠山の秋の夕暮れ、鳴く鹿、朱印帳の字の美しさどれをとっても心に沁みる不思議な魅力に満ちた神社それが春日大社。
2015年3月16日月曜日
神社の代表的三社とは何処
神社の代表的三社は三社託宣のためか、「伊勢」「八幡」「春日」と思われている。三社託宣とは三神の神号(神の称号)と託宣(神の意志、お告げ)を記した信仰対象の掛物のことで、現代でも1月の「おびしゃ」講の時、私達も使用している「伊勢」「八幡」「春日」の三社の託宣が中世以降流布してこの三社を指す様に思われている。しかし本来三社とは「伊勢」「石清水」「賀茂」を意味していたが吉田神道の吉田兼倶の『三社託宣本縁』の影響が大きく、その後もこの三社託宣が多く人々に支持され大量の掛物等が庶民向けに制作され各地に講が結ばれ現代に至っている結果によるもだと思う。
2015年3月15日日曜日
古文書の会
今、読んでいる古文書は地元の江戸時代初期、1676年・延宝四年の文書、住む人がいなくなった「潰れ屋敷の処理」と言う現代に通じる空き家問題、年表を見ると、将軍は四代家綱、後見人の保科正之が死んで4年、1670年東海道・関東洪水、1674年諸国飢饉、いつの世も民衆にとっての不安は多いく、時の政府は人心を如何に収めるか頭を悩ませる。人間進歩を謳う西欧思想が如何にくだらないかが、古文書は教えてくれる。国民性、地域性は、風土と自然から作られ育まれ変化はしないと考える。
2015年3月14日土曜日
榊についての思い
「榊」は祭祀の際に玉串、神籬などとして神前に供えられる木として、知られている。土地によっては榊が育たなく樫、杉、柘植、樅等で代用されそうです。事実、東北の神社での修業時代神社の森の中、数少ない榊を探してさまよった事を思い出す。昨年新潟での祭事に際して榊の有無を新潟神社庁問い合わせてから出かけ、有るとの答えを得ていたので地元の人に聞いたが分からなかった。しかし神社の境内を探すと、やっぱり一本植えてあった。昔、神社の奉賛会事務局時代、祭事に備えて境内に植えてもらったことがあったため、同じ苦労を地元の氏子の人々もして対応していたことが知ってなっかしく楽しくなった事を思い出した。
2015年3月13日金曜日
養神館合気道指導法
養神館合気道には、指導法と言う資格がある。十年以上前に取得したが、自己責任で弟子を教えだしたのは、五年前でしかない。この五年間の指導は、教えると言うより自分の合気道の再構築、今までの一面体の合気道関する「動態」を多面体に捉えなおすことの連続だった。教えると言う事は教えられる事と良く人は言うけれど、それは簡単に教えてくれない。自分に教えてくれるのは、我慢、辛抱、工夫の後に、ようやくやって来る物と感じている。家康の言葉の重さを体で感じる日々を過ごせる幸せに感謝している。
2015年3月12日木曜日
神器の絵付け
神道の神器は「かわらけ」で代表される、素焼きでシンプル、質素を旨とする。釉薬を上掛けした物も、磁器の白磁、青磁、陶器なら自然釉薬、白萩等清楚な白系が望ましいと考えていた。今、呉須を使った絵付けにハマってくると、お神酒徳利を初め、神器にダミをした上に呉須で文様を書き込んだ陶器を制作してみたくなり今回ためしてみた。出来上がりは、神様が喜ばれる物となるか楽しみにしている。
2015年3月11日水曜日
塩田剛三館長の御身技
養神館合気道塩田剛三館長の「御身技」はビデオ等で多くの方が御存じかと思いますが、自分としては理合いは分かるようになってきたが、「体感」「体験」したことがないため、解らないと言うのが本音だった。そして今日養神館合気道龍の安藤先生の「御身技」の指導の中で受けを多種多様、今日取らせて頂いた。その中で後ろから腰に抱き着き持ち上げに対して塩田剛三館長が行ったと同じ技を受けることが出来た。見た目では安藤先生の動きは館長と同じく少なく、しかし肩甲骨に強烈な力を感じ痺れが残った。「体感」「体験」出来て最高の一日となった。
2015年3月10日火曜日
新学期、新年度かな今日も入門者
新学期、新年度が近づいたせいかもしれないが、今日もまた新入門者、前回と同じこわもての顔に似合わず(失礼)素直に指導を受け入れ基本の「右半身構え」「左半身の構え」「正座法正座」「膝行法」を鏡の前で、前回入門者と黙々と一時間近く続けていた。新政府によって、明治初期にフランス式の軍制を取り入れてから、日本人の体から抜け落ちてしまった古来から培われた身体の運用形態を、体に呼び戻すことから武道としての合気道の修業が始まる。
2015年3月9日月曜日
「学童疎開」新聞記事
今日の産経新聞記事「学童40万人を疎開 2人の将校」 上田昌雄少将の学校単位の学童集団疎開計画の法案に対して、東条英機首相兼陸相は「国民の士気に悪影響する」と反対し、それでも食い下がると「西洋かぶれ」と怒鳴られ、一方、東条氏に帝都防衛を指示された辰巳栄一中将の学童疎開の進言に対しても東条氏は「国民精神の基盤は家族制度であって、死なばもろともという気概が必要」とし疎開はもってのほか」と反対したと言う。そこで辰巳氏は「大政翼賛会」に働きかけて賛同を得たと記されていた。東条首相は今泉貞助先生の中学時代の教え子、「大政翼賛会」は今泉先生の多くの弟子・信奉者が関わっている。今泉先生は首相時代の東条氏に面談し「日本精神」に基づく苦言を呈して、これによって東条氏は逃げ回っていたと聞いたことがある。東条氏の「国民精神」と今泉先生の「日本精神」の違いが「学童疎開」計画に色濃く反映している。
2015年3月8日日曜日
合気道総合審査申し込み
合気道総合審査申し込み〆切りを迎えている。普段冷静に審査受付に対応してきたが、合気道総合審査の有段の部の審査を久しぶりに見てから
合気道総合審査の〆切りを迎えている今日この頃、普段は冷静に審査申し込みを受けていたが、久しぶりに「総合審査有段の部」を見てから、体が疼くと言うか熱くなるのが止められない。特に「多数取り」に熱く思える内に審査に臨まねばと思う。五段審査は、この年になると命懸けの思いもある。神輿渡御の掛け声「明日はないよ」が心で叫ぶ。体力の衰えを考えると時間と体力の勝負となっている「明日はないよ」。
2015年3月7日土曜日
師匠と弟子の関係
師匠は最高、一流に付かなければならない。自分が凡庸であればあるほど、絶対的条件となる。一流のそばにいるだけで弟子は修行になる。そばにいてどんなに修業が厳しくても、楽しくないのなら、その師匠と相性が悪いか、その学びが自分に向かないのだから、離れるか止めなければならない。時間の無駄でしかない。その師匠の下、黙ってひたすら十年は、「体感」「体験」の修行しなければいけない。文句、意見、はまさしく十年早いと言うものだ。そして十年たったら今までの疑問点の検証、研究を通じた「体得」の十年としなければいけない。そして二十年目からは、「体現」「体顕」の時を迎えねばいけない。自分は師匠に恵まれた人生だが、師匠から見て良い弟子であったのか、今しみじみと思い返している。
2015年3月6日金曜日
「身の丈」に合った生き方
人生を三年と四年の七年を1サークルとして前期、中期、後期の二十一年の階段として人生を捉えて生きてきた。そして國學院のエス教授から『「身の丈」に合った生き方をしろ』と指導を受けたが、生きようが掴めなかった。天狗にならず、卑下もせず、自己を冷静に見つめる事なのだろうが、現実に向かい合った時、それが掴めなかった。しかし今日老いとの語らいの階段の中で幾らか、体から教えられてきた様だ。無理なのか、怠惰なのかの日々の歩みの中で「体感」している。
2015年3月5日木曜日
子供の教育信条
子供も教育についての、信条を述べると第一に子供を褒める、肯定する事を前提にしている。女の子に対しては「美人だ、美人だ、」と言って育てると美人ないしそれに近くなる。そして「親として絶対にお前を守る」と言い続けると安心して成長して行く。どんな時でも、「ぶす、馬鹿」と言ってはいけない。男の子は認めてやる事が大切だと感じている、どんな決断でも自分でしたのなら「良くやった」と褒める、親から見て不本意な大学、就職であっても「頑張ったな、これからも頑張っていけ」と言えば、また努力を続けていく力が湧くはずだ。親が認めずして誰が認めると言うのか。「孫は子供より可愛い」と子供の前で言う人がいるが、そんな事は思っても言ってはいけない。
2015年3月4日水曜日
生涯大学校校友会の集い
生涯大学校、親の代では老人大学と言っていた学校の卒業生の集まりに参加した。高齢者の集まりに参加するといつも気になるのは「色気」がある人とない人にはっきり二分される事、自分では、高齢者と思っていないが確実に齢を重ねていることは確かで、「色気」のない人間にはなりたくないと思っているが、どうすればいいのかいまだ分からない。「笑い顔」が素敵、これは確か、それ以外が、良く分からない、「好奇心」これはあるが、それだけでよいのか、「思いやり」当然だな~、年と共に干からびていく皮膚と同じように感性もひっからびない様にしなければいけない事は確かだ。
2015年3月3日火曜日
合気道審査稽古の一日
終日、合気道錬成道場での審査に向けての稽古、会員の十人十色の個性と関わる指導は、楽しく味わい深い時間となってなっている。年齢、性別に始まり体型、性格から発する審査に向けての限られた時間による緊張感の中での合気道の技に対する各自の感性は、その人の人生の歩みそのもの、それに寄り添いながらの指導は、逆に合気道の技の奥深さを私に教えてくれると共に、合気道のバックボーンである武道の歴史、大和魂を生んだ日本の歴史をより深く学べと教え諭している。
2015年3月2日月曜日
『百人一首』の和歌
『百人一首』の和歌の中で好きな歌の一つ、三条右大臣「名にしおはば逢坂山のさねかづら人に知られでくるいしもがな」に人生を重ねて若やいでいたが、旧人知人の訃報を受ける日々ともなると、数十年前が昨日の事のように思い出され、何か取り残された様な悲哀を感じ、藤原興風の「誰をかもしる人にせむ高砂の松もむかしの友ならなくに」に心が魅かれる。「今ここに」しか居ない人生、今日を生き切る大切さを思い知れ。と自戒する日々
2015年3月1日日曜日
古文書を親しむ
時折、碑文等の文章を解読をしたり依頼されたりするが、不勉強の為苦労している。そのため地元の勉強会に参加して古文書に親しむ様にしている。数多く読むことが一番なのだが、なかなか難しく、限られた時間の中で行っていて楽しいのは、筆で古文書の文字を写し取る事、そうすると続け文字と一体になって字が見えてくる。書道の先生が掛け軸等自由に読まれている理由もうなずける。文字の流れに筆で乗ると書いた人間を身近に感じ不思議な心持になる。まさしく体感。そして体得となるには長い修行が待っている。
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