2015年2月28日土曜日

ろくろを通しての土との会話

ろくろを使っての花器の高台削り、土の硬さによって削り跡が変化する。今回は飛びカンナの様な、まだら模様が残った。心の在り様が、形に表れる様だ。荒練り、菊練りを怠った粘土は、ろくろの上で踊り手が付けれない。地道な努力、当然な行為を怠ると結果は出ないということか。

2015年2月27日金曜日

合気道と旅立ちの日

午前中に行っていた合気道龍本部道場特別コースの青年が終了を待たずに止めていくと挨拶をしていた。高校卒業後合気道づくめの生活一年過ごし進学か就職か、合気道の内弟子になるか悩んでいたようだが、就職することを選んだ様だ。若い人が閉塞感の中でも、戸惑いながら元気よく旅立ちを迎える姿を見ると心躍るものがある。午後には合気道教室で5年間教えた少年二人が、中学進学のため今日で止めますと、言いに来た。前からこの話を聞いていたが、手を焼いた子、真面目に通っていた子、それぞれだが、合気道を通じて得た日本の心が、その将来にきっと役立つと信じて、頭をポンポンと叩いて送り出した。今日は合気道巡る旅立ちの一日となった。

2015年2月26日木曜日

冬籠りに似たり「本焼き」の日

昨日とは打って変わって、冷たい雨が降る、やきものの「本焼き」の一日。1,250℃に向けて、「あぶり」に始まり「ねらし」に終わる11時間、冬籠りに似て陶芸談義、暖炉を囲むように「窯」を周りで至福の時が過ぎる。

2015年2月25日水曜日

やきものと釉薬そして窯詰め

釉薬はやきもの素地の表面に塗布して、ガラス状の被膜を作るもので、うわぐすりとも言が、前回トルコブルーを掛けた花器が面白みが出ず、今回飴の釉薬を上掛けし、更に白萩釉を掛けてみた。陶芸を習い始めた時は、釉薬調合の三角座標を学び色見本を作ったが、全く興味がわかず忘れていたが、釉薬の魅力に取りつかれた今は学び直そうと考えている。窯詰めも終わった今日明日朝一番で、あの窯場で「本焼き」を行う。「登り窯」の様にグラフ付けての1250℃に向けての手作業での12時間は、また魅力的な空間を作り出してくれる。

2015年2月24日火曜日

今泉錬成道場の入門者達

今泉錬成道場に今日も新たな入門者があった。しかし入門者の半数者近くが今まで道場を去って行き、就職・進学・転任・怪我等と色んな理由があったが、何となくほっとして辞めていった者と残念無念の気持ちを残して去って行った者が、あるように最近思い気になりだした。人生に対する姿勢と言うか気質の問題に関連しているとの思いで、合気道の絞め技に特化して言うと、二ヶ条締めに対する反応では、幼稚園児でも青年でも女性でも、締められた痛さに嬉しそうに笑い出す者と苦悩の表情を浮かべて耐える者のはっきり二分される。痛さを痛さとして捉える人は、真面目に人生を正面で捉え過ぎているよう感じる。合気道の締めは、身体を壊す訳でなく多少痛いが、技を素直に受け入れると、逆に肩の凝りが取れる。人生を肩の力を抜いて歩んで行けと合気道は教えているのかもしれない。

2015年2月23日月曜日

やきものの焼成「素焼き」

やきものの焼成「素焼き」は、乾燥させた作品を800度で焼き締め、このことにより強度が増し、吸水性も高まり、施釉がしやすくなる。通常の窯はコンピュータ処理でボタン1つで帰ってしまえるが、今回で4回目のこの窯は、30年前の手動式で、最初は呆れたがやってみると「登り窯」の様で折れ線グラフ付け温度調節をしながら、みんなでワイワイ言いながら酒を酌み交わす事が、また一つ味わいのある時間となっている。今日は春を思わせる陽気で、身も心も心地よい1日となつた。

2015年2月22日日曜日

「二毛作」の人生を歩む

「二毛作」とは、一年のうちに二回、同じ耕作地で違う作物(米・麦)を栽培すること。これに対して「二期作」は、一年に二回、同一の作物(米)を栽培し収穫すること。人生で例えば「二毛作」の人生は、全く毛色も形態も違う業種を一生のうちに二回生きる事、「二期作」の人生は、一つの会社の関連会社を渡り歩く、同業他社をキャリアアップして行く事で、嘗ては一つの団体(会社)で終わる人生「一期作」が多かった様だ。人生「二毛作」と「二期作」の大きな違いは、二度若い人達とゼロからの修行を行う事と考えている。

2015年2月21日土曜日

柞灰(いすばい)の花器の出来上がり

還元で焼成した柞灰の花器は、木灰を釉薬として登り窯で焼き上げた作品に近い風合いに仕上がった。酸化の方と言うと、黄瀬戸を薄くかけた面白みが、少ない出来となった為、再度今度は黄瀬戸を濃くかけて還元で焼成してみようと思っています。ところでお詫びしなければいけない件があります。 柞灰に二つまみ入れたのは、珪酸銀でなく珪酸鉄の誤りです。金、銀の上絵付けを考えていたので、うっかりしてしまいました。お詫びして訂正します。まだまだ未熟、しかし楽しい修行時代を迎えています。

2015年2月20日金曜日

二十五年で迎えた「体現」の日々

「体験」は修行の日々で十年、「体得」は研鑽の日々で十年、「体現」は次の世代への伝言で、命終えるまでと考えてきたが、養神館合気道本部道場でひたすら四段を目指した十年、本部道場と掛け持ちで支部作り、支部運営に励んで指導者資格を取った十年、そして今、今泉錬成道場で指導を初めて五年を迎えている「体現」の日々、何をどう伝えるか考え続けている。合気道は何かの答えは、二十年関わった神社奉仕と十年学んだ國學院大學を通しての神道思想をどう体現、体顕して行くかでもある。自分自身の歴史の中から紡いだ言葉を伝える楽しさと責任を感じる日々が今日も終わった。

2015年2月19日木曜日

「競輪」考

「競輪」そうギャンブルの競輪は、「日本精神」そのものと言える。海外のギャンブルは馬、犬等の競争が賭けの対象で、人間の脚力そのもの、一人一人が対象のものはない。キリスト教は、人間の罪を内在として捉えるそうだが、神道では罪、穢れは白玉に付いた泥の様に洗い流せて、人間を純真なものとして捉えている。その人間は全力で自転車レースをし、地域の人間関係でラインを組み、脚質(先行・捲り・追い込み)によって位置を決め、ギヤ倍数によって動くタイミングを計ると、日本人は考え推理するからギャンブルとして成立している。競輪選手一人に全幅の信頼を寄せている。人間への信頼それが「日本精神」の基本にある。春間近になったら「旅打ち」に出かけてみませんか。

2015年2月18日水曜日

武器技

武器技の一つである剣操法六本を久しぶりに練習した。剣さばきは当然として仕手受け二者間の間合い呼吸が合うと爽やかな心持になるが、練習不足の身としては、歯がゆさが残るのみ。日々の研鑽あるのみ。反省

2015年2月17日火曜日

新規入門者

今泉錬成道場に、新しく男性が入門した。前回見学に訪れた時は、帰り際に三ヶ条連行法を教えて下さいと言っていたが、入門初日は、鏡の前で、「右半身の構え」「左半身の構え」「正座法」「膝行法」を一人黙々と練習を続けていた。養神館合気道は、基本の動作が身につくまで「技」に入れない。これを楽しく続けられる事が相性と言える。この男性はその一歩を歩みだした。

2015年2月16日月曜日

ウォーキング講座

歩き好きの自分だが、専門家の指導を初めて受けて、人体の妙を改めて知る事が出来た。「シューズの購入」は夕刻の事(骨の間が人によって2センチ朝起きてから伸びる)、日本人の足に合った日本製(ミズノ、アシックス)。「筋肉を作る」ではアミノ酸(アミノバイタル)を運動の前後に摂取する事。「姿勢を作る」では、横から見て踵から頭が一直線(頭の重さ5キロ)、歩き出しは母指球に体重を移動、腕の振りは振り子の原理、そして最後の「ストレッチ体操」は、必修(日々の練習の疲労を素早く抜く事は練習と同じくらい大切)。準備体操は良くやるが、ついつい終わった後のストレッチを怠っていて、自分の足腰の痛みの原因を作っていた事が再確認出来た。姿勢を作る事は、武道の動きに通じて大変参考になった。

2015年2月15日日曜日

神前結婚式祭式

結婚式場を合気道本部道場に定め、お二人の武道家が神前結婚式を執り行う、皇大神との取り持ちとしての祝詞の言霊、直会(なおらい)としての披露宴は、神との供食を通しての「神人合一」、神前結婚式は「日本精神」の体現そのものであります。お二人に永く守護を垂れ給われんことを。

2015年2月14日土曜日

作陶の日々

珪酸銀を2ツマミを柞灰(いすばい)カップ1杯に入れ、この灰を手に、こんもり持ちCMC(陶芸用のり)入りのコンプレッサーで素焼きした作品に吹きかけると、本焼きした後、登り窯で焼いた様になると聞き、酸化と還元の両方で花器を焼いている。陶芸は火と土そして釉薬の妙で正しく開けて見なければ分からない神秘さに魅かれる。

2015年2月13日金曜日

明治天皇御製

明治天皇御製「よもの海みな同胞と思ふ世に など波風のたち騒ぐらん」は時代を超えて心に響いてくる。西郷隆盛が、福沢諭吉が近隣諸国に連帯し挫折し絶望した時代の様に現代にあっても、近隣諸国に連帯し挫折し、絶望している状況に対して、明治天皇御製は「いかならむ ことにあひても たゆまぬは わがしきしまの 大和魂」と教え諭しています。天武天皇も同じ様に、大陸での敗戦を通じての連帯、挫折、絶望から『古事記』を残そうと思い立った感じています。『古事記』を日本の羅針盤とて読み解く時が来ています。

2015年2月12日木曜日

神前結婚式「盃の儀」考

神前結婚式における新郎新婦が神酒を拝戴する「盃の儀」は、三々九度としては次の順序によるのが正しいとされている。 「一の盃」先づ新郎、次に新婦、次に新郎、終って納盃。 「二の盃」先づ新婦、次に新郎、次に新婦、終って納盃。 「三の盃」先づ新郎、次に新婦、次に新郎、終って納盃。 童女一員の盃所役・銚子所役の動きが多く回数を減じているのが、現代風なのかもしれないが、神饌たる御神酒を三々九度と重ねていただく事により「神人一体」「神人合一」の神道思想を体現する神前結婚式本来の形と考える。

2015年2月11日水曜日

第11回合気道ジュニア大会感

今年のジュニア大会は暖かく子供達も伸びやかに演武行えたようだ。何時も感じることだが、低学年の部(小学1年生~3年生)の演武は、正しく地上の天使、審判団の一人として瞬時に序列化をしなければならないのだけれど、感動して目がうるうるして見とれてしまう。高学年の部は、きびきびして健気さに感動、中高生の部では、これに力強さが加わり見とれてしまう。少年少女達の演武に心洗われる一日となった。感謝

2015年2月10日火曜日

神饌の思い

神饌を供する順序は、概ね和稲、荒稲、酒、餅、海魚、川魚、野鳥、水鳥、海菜、野菜、菓、塩、水としているが、現在は米、酒、魚、海藻、野菜、果物、塩、水で、魚は鯛ではなく、乾物で行っている。むかし式内社の神社て修行していた時、神饌のイナダを猫から守るのに苦労したこと等を懐かしく思い出す。熟饌「調理饌」は祭りの最後に参加者一同で会食し「神人合一」の世界を作り上げる重要な要素であること思えば、日々の日供の神饌、米、酒、塩、水と今時はミカンへ、同じ思いを忘れてはいけない。 

2015年2月9日月曜日

養神館合気道『張る』

日本は言霊の国と『万葉集』で歌われていますが、養神館合気道の神髄のひとつに『張る』があると感じます。『張る』は「春」であり生命の伸び行く力であり、養神館合気道は「構え」に始まり「構え」に終わると教えていますが、「構え」は正に『張る』を体現しています。合気道の動きの中に「構え」が在り、『張る』がなければ、合気道と言えないと思い至っています。

2015年2月8日日曜日

九谷焼の藍

今、九谷焼の藍に強く魅かれる。妙泉陶房の流れを汲む指導者に教えを受けているが、藍が調合呉須これは、粘土とコバルト、マンガン等を合わせたものだけでなく、天然の中国呉須を加え更に弁柄を加えて、あたかも鰹節、昆布等々を加えて創り出した出汁の様な豊な風合いを醸し出している。江戸時代幕府の政策もあって藍の着物が流行っていたそうだが、かつて徳島に旅をした折、藍の作務衣を購入し今も愛用しているが、日本人にとって藍は日本の精神性と強く繋がっていると感じてならない。

2015年2月7日土曜日

合気道ジュニア大会

子供達は中学進学、英語塾での勉強等々の中でクールに人生を感じている。その中にあって、合気道指導者として、子供達の将来に役立つ精神、技術を残せるか、それに対して全力努力しているかジュニア大会を通して自問する日々となっている。

2015年2月6日金曜日

竹岡俊樹著『考古学崩壊』

アマチュアの藤村新一による20数年間に及ぶ「前期旧石器遺跡捏造事件」について、今まで釈然としない思いが残っていたが、この竹岡氏の著で腑に落ちた。 著者に言わせると「日本の考古学の専門家は、縄文石器と前期旧石器とが見ただけでわからなくて、例えば八百屋がマツタケとシイタケを間違って売っている様なもので、考古学者はマツタケとシイタケも見分ける目がなかった。この学問の基礎はヨーロッパで確立されている「形式学」(石器を観察分析すること)を固めることでしかないとし、事件後の検証作業を通して学会、大学教授等に提案し講習会を実施してきたが、黙殺、締め付けで旧態依然を決め込み、時の経過で国民が忘却する事を待っている。」としている。正しく『考古学崩壊』である。

2015年2月5日木曜日

吉本隆明『共同幻想論』

『共同幻想論』が、国家の成り立ちの起源を『古事記』と『遠野物語』を徹底的に読むことで明らかにした書であることを、今日の産経新聞で知った。 むかし大学の文化祭講演で学生の奇妙な質問に戸惑っていた先生を懐かしく思い出した。『古事記』をバイブルとしている自分としては、難解とされているこの書に対し再度読まなくてはいけないと感じた。