2016年2月13日土曜日
渥美清氏の卓見『好きと向くとは別なもの』と合気道ジュニア大会
渥美清氏は演劇が好きで、良く出かけて行って観て、自身も「演劇人」としてその中に飛び込む事を願い続けていたが、自身の立場の重さからと「映画人」として、「寅さん」として人生を全うしたと言う。生前渥美氏は『好きと向くとは別なもの』と考えていた様で、好きな「演劇人」を捨て、向いている「映画人」として人生を歩まれた。自分自身を顧みると好きな事に時間を費やし、向いている事に背を向けて生きてきた時期が確かにあった。無駄も人生の内とは言え、早く気が付く事に越したことはないが凡人の悲しさか。「合気道ジュニア大会」少年・少女の競技演武を審判員として今年も参加させていただいたが、天から舞い降りた天使たちの演武、何時もながら目頭を「うるうる」させながら、この子らは、時流に流されず自分自身に向いた人生を歩めと願いながらの採点となった。
2016年1月3日日曜日
明治天皇御製
「國民(くにたみ)は ひとつ心に まもりけり 遠つみおやの 神のをしへを」と 明治天皇は お歌を通して「わが国の人々は心を一つにして 皇祖皇宗の御遺訓を守ってきました」とお教えくださいました。この「遠つみおやの 神のをしへを」とは『古事記』の神勅を指し 代表的例としては「ここに天つ神 諸々の命(みこと)もちて、伊邪那岐の命 伊邪那美の命の二柱の神にのりたまいて、この漂える国を修理(をさ)め固め成せと、天の沼矛(ぬぼこ)を賜ひて、言よさしたましき。」一般的には『修理固成(しゅうりこせい)』の神勅と呼ばれ、イザナギ、イザナミの神のみならず人間一人一人も自分の負っている使命によって世のため人のため邁進する事を命じられている。『古事記』は神道のお教え『バイブル』と言える所以である。
2015年10月21日水曜日
屋山太郎氏の『正論』
二十日付の産経『正論』で屋山氏が「対中関係は聖徳太子の頃から「対等外交」を貫いてきた。中国と深くかかわるべきでないとの方針を破ったのがつまずきの始めだった。(三木首相の「対等外交」を指す)」「異形の経済圏に入っていくのだから、リスクは自分で負ってもらいたい。日本企業は中国に2万3千社が進出し、1千万人を雇った。ところが3千社以上が撤退した。引き揚げは続いているが、いかにそれが難しいか知らしむべきだ。」と述べているが不図10数年前の事を思い出した。日中友好団体の講習会担当の職員から中国での商売の難しさ聴いていた時「失敗事例の講習会」が中小企業対象の講習会リストにない事に疑問を感じ聞くと「講習会を行っても誰も参加しないので開けなのです」との事だった。天智・天武天皇時代と同じように「白村江の戦い」で手ひどい火傷を負わなければ分からないと言う事なのかもしれない。
2015年10月17日土曜日
「円鏡」の死
八代目橘家円蔵と言うより「月の家円鏡」ホール・定席で聴く「円鏡」は真剣を構えた凄味があつた。「談志」は人間味で聞きほれた。「志ん朝」は懐かしい四季の空気に身を委ねた。鈴本に行って蕎麦屋で酒でも飲もう。
2015年9月30日水曜日
『五輪書』と『古事記伝』の「日本精神」
宮本武蔵の『五輪書』は年を重ねると共に新たな視点を教えてもらう。合気道修行の日々では「目付け」「太刀の持ち用」を教えてもらい、「国学」を学び神職として「禊・祓い」の日々の今、武蔵が「仏法、儒道の古語を用いず」「日本の精神」を『五輪書』で書き上げたのは正保二年(1645年)と気が付いた。あのミスター「国学」の本居宣長が『古事記伝』を書き上げたのは寛政十年(1798年)その150年前に「仏教、儒教の言葉を借りず」「日本精神」を書き残した武蔵は「国学の先駆け契沖」よりも早く「国学の曙」と言える。新免武蔵守藤原の玄信年もって60歳、寛永10月10日寅の1てんに『五輪書』を書き始める。真もつて凄い男なり。
2015年9月17日木曜日
電子書籍『聖なる天皇の大嘗祭』は過去を知り、現代を考える鍵となる
佐々木聖使著 電子書籍 『聖なる天皇の大嘗祭』 第1章「大嘗祭はなぜ始まったか?」によると先帝の喪葬儀礼を執行する権利を持つことが、次帝として即位するために必要不可欠の時代にあって、天武天皇が先帝の天智天皇の喪葬儀礼に関係できず、その「代用」して「大嘗祭」編み出したとする指摘は正に目から鱗。天武天皇が始めた「大嘗祭」は、その後皇位継承の中心儀礼となった理由は「先帝の崩御・もがり・埋葬」と「即位式」と「新嘗」を集約した祭儀で従来のこれら皇位継承儀礼を行うと同じ意味を持つものとなったからとしている。例えば先帝の崩御と新帝の即位が不可分な時代であった推古天皇は退位出来ず、即位すべき年齢と立場の聖徳太子が新帝になることなく逝ってしまった。しかし「大嘗祭」は、祭儀の中にその両者を含むため、「大嘗祭」を挙行すれば、「譲位」を可能とする新しい皇位継承への道を開いた。 発行「龍声社」
2015年9月13日日曜日
今泉定助先生の遺品
今泉家に保管されている今泉先生の遺品が今月國學院大學に寄贈される。日大の佐々木先生によって整理ファイル化されていたもので、今回の寄贈によって多くの研究者に広く公開され明治、大正そして昭和前期の神道研究に、資することが期待される。
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