三月六日勉強会資料を掲示します。白石観光の折にご利用下さい。白石城址の中に多くの碑が点在します。
生誕の地白石市における今泉定助先生と皇道思想関係史跡
(大正7年に始まる「同年会」と思想的連係を、持ったと考えられる碑文等)
1.大正4年晩秋、神明社鳥居横に建てられた「片平観平碑」(碑文選定・今泉)
要旨
大堰補修工事は従来からしばしば行なわれ、領主の命令で村々から内雇人足を徴集しているが、このごろ各村は人手不足で難渋し上下の憂いになっている。これを見て情けなく存じ、自ら憤激し自分金をもって御届けの上に切通しの請負をいたし)
と白石地域農村救済のため、天保元年から10年かけて、私財を擲って切通し工事を完成した、片平観平の顕彰を行なったものである。この碑文選定を通して、故郷白石地域の人々との地域共同体の一員としての具体的公益の実践方法の共有を持ったものと考えられる。
2.大正6年10月白石城二の丸跡に建立された「横綱谷風・大砲の碑」
(今泉による碑文撰并書)
碑文の中で、
(郷土の先輩横綱谷風に対し)大砲その徳を慕い其の英霊を祭らんとす是聞き地方有志もまた其の擧措賛し碑を建てもって後毘を伝ふ
とし、横綱大砲の碑文では、
人となり温良郷党を恵愛し又頗る谷風の偉徳を敬慕す古今世を異にすと雖も其の鷹揚鵬撃の状は相同じ、地方の有志相謀り両横綱の雄風を永久に傅へむが為め建碑の擧あるに當り大砲率先敷地二反五畝餘を町公園に寄附して此の擧を翼賛せり今その顛末を記して不朽に傳ふ
と大砲の地方共同体の先人に対する、敬慕と礼節、そして公益の実践を撰文し、横綱大砲を迎えての除幕式と、横綱の碑建立記念大相撲の実施を通じて、白石地域の人々に、広く伝えられたものと考えられる。
3.昭和2年4月16日神明社鳥居横に建てられた、村社から郷社昇格時の「郷社神明社」名号字
神社昇格請願活動に係る今泉と、白石地域の人々の産土神を通じての強い結びつきが窺われる。
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