菅野雅雄先生の基調講演の中で次に勉強になったのは、皇典講究所前史の『古事記』研究として田中頼庸が神宮教管長時代に著作した『校訂古事記』の読み方が漢文で読んでいて「奈良調」、皇典講究所が明治四十四年に刊行した『校定古事記』は国学者の流れで本居流で「平安調」との指摘で、今泉定助先生は、田中頼庸から神道事務局副管長時代、そして神道神宮教後の神宮奉斎会と指導を受けると共に流れも継いでいる訳で、葦津珍彦は『神道学史上の今泉定助先生』のなかで「私が見た今泉先生の葬儀の作法などにも、宣長流の目で見ると、どうも儒式の影があるかと思ったことがある。」として面白く感じた。今泉敬介先生のご自宅にも田中頼庸『校訂日本紀』残されていてその一部が窺えた事も今後の調査研究の励みにもなった。
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