2012年5月21日月曜日

野田市民アート展陶芸作品出展

紐作り自然釉焼締陶器 作品名 『日本精神』(にほんせいしん)  日本人のやきものに対する感受性は、紐作り自然釉焼締陶器への思いが深い。その思いの深さは、日本の縄文土器の発明が四大文明発祥の地より古く、その土器を1万年以上作り続けた国は世界で日本以外ないと言うことからも解る。「窯」の技術が伝えられ燃焼温度が1250度を超え燃料の木灰が溶融剤となり、粘土中の長石を溶かした自然釉がかかるようになっても、中国のような人為的な青磁に代表される改良を行なわず、自然釉に慣れ親しみ続けた心、「ろくろ」に対しても、縄文土器と同じ紐づくりにこだわり続け、「用の観念」から離れた「精神的な審美の世界」で器を形作ってきたことからも、紐作り自然釉焼締陶器は『日本精神』そのものと言える。

2012年3月14日水曜日

今泉定助先生 生誕149年祭

平成24年3月1日旧暦2月9日 今泉定助先生生誕149年祭
今泉定助先生のお孫さんである今泉敬介先生の代参として、白石市益岡鎮座神明社にお参りいたしました。
式典後、佐藤宮司と打合せを行い、今泉定助先生生誕150年祭を来る平成25年3月20日春分の日に神明社で実施する事の了承を頂けました。今後は敬介先生を中心に詰めていきますので宜しくお願いします。

2011年10月5日水曜日

沈思黙考と修理固成

沈思黙考と修理固成

大震災から7ヶ月が経とうとしている。
最小限の言葉以外は、発せられなかった。
沈思黙考しなければ、いけない。と感じた。
晩夏 白石神明社で大震災復興の祝詞を上げさせて頂いた。
何かが 自分の中で少し動いた。
稜威會本部道場で禊をした。
日本の大きな禊の時と体感した。
修理固成 自分の使命に従って生きる。
合気道練身会道場・清祓、道場開祭を執り行なった。
神職 職業の職でなく、神につとめる事を職務として生きる、と体感した。

2011年5月1日日曜日

『日本精神』とは何か

日本人の心・大和魂・和などの言葉によって東日本大震災以後、多くの人々が伝えようとした日本民族の精神とは何か、東北の美しい大地で培われた共同体の精神的強靭さ柔軟性そして優しさはどうして生まれ育まれて来たのかを明確に説明している者はいるのであろうか。戦後、多くの日本人は国家そのものを重く暗いものとして嫌い、地域共同体を旧弊として蔑んできた。各々個人の自由を第一として、天皇に対しても「天皇陛下」とは気恥ずかしくて言えず、軽く気楽に「天ちゃん」と呼ぶ時代を作ってきた。戦後六十六年が終わり、新たに大震災以後が始まった今、『日本精神』と呼ばれる日本共同体原理を明確にする事が必要な時期が来ていると考える。
その答えの一つとして、明治・大正・昭和にわたる教育者・神道家である今泉定助は『皇道論叢』初版昭和十七年発行の「古典の精神」の中で古事記冒頭の一節の訓み方を、通して明確に示している。それは本居宣長も、平田篤胤も、その他の今日までの学者も、皆、この一節がよく解けていないとし、この一節が解ければ古事記の全部が解ると言い、これが解らなければ、又古事記の全部が解らないとも言える訳であるとしている。
古事記冒頭の一節とは「天地はじめのとき、高天の原に成りませる神の名は、天御中主神」であり、ここで「成りませる」という言葉が非常に重要であるとし、「ナル」の「ナ」は凪ぐの「ナ」で和らぐ、調和の意味とし、「ル」は集まる、取る、来るとかいう「ル」で吸収集合する意味で、「ナ」「ル」とを寄せると、完全に調和成熟することであるとしている。外国では宇宙創造神は始めから在るもの、神は宇宙の外に在るとし「存在」が思想の基礎、日本は宇宙発顕神を成ると言って「生成」が思想の基礎となっている。存在思想は自分の思想を存在させんが為に他を排撃しなければ自分の存在が保てない。生成思想は宇宙の神が万物を生成化育包容して何者をも排撃しないとしている。天之御中主神が自然の本義を発露して宇宙全部を顕したのであるから、万有は総て天之御中主神と一体、従って君国一体・君民一体が宇宙の真理としている。『古事記』を始め日本の古典は、神様の御名前を分析すると御本質が解る、御名の中に、神徳、神功、神業、神力が皆現れていて、主観的には神格の発揮であり、人間は神習って人格の発揮、事業の建設を行いお互いに自性の発揮を目的として生きている。それを私たちに教える日本の古典は立派な日本人のバイブル、経典であるとしている。

2011年4月14日木曜日

東日本大震災後の『祭り』の自粛

東日本大震災後の『祭り』の自粛についての一考

「被災地に配慮すべきだ。お祭り騒ぎはすべきでない」として全国的な動きで『祭り』の中止が広がっていると報道されている。
この論は正に本末転倒ではないかと考える。今泉定助は、大正十二年の関東大震災の一ヵ月後「震災復興についての建白書」のなかで、物質的外形的復興を望むと共に、精神的内面的復興を力説し、国民精神の主柱は敬神崇祖たる神社祭祀にあるとして、神社の復興は地域共同体の精神的復興を成すと主張している。神社祭祀としての『祭り』では、氏神と氏子が神人一体となり、共同体としての村・町が氏神を中心として歓喜と意気とを以って連帯し再起するとしている。
東日本大震災について、被災者・国民に向けた天皇陛下の『お言葉』「苦難、皆で分かち合っていくこと」は、『祭り』の自粛ではなく、全国民が『祭り』を通して国民しての一体感を持つ事ではないか。『祭り』は「日本精神」を国民一人一人に対し、具体的に体験・体得そして体顕して『鎮魂に至る道』となることを教えてくれると考えている。

2011年3月12日土曜日

今泉定助研究会第3回勉強会実施の延期

三月十三日実施の勉強会及び二十日の白石調査は地震の為、夏期まで延期します。

2011年3月10日木曜日

宮城県白石市勉強会資料(2)

後半の資料を掲示します。

4.昭和8年同年会・白石不惑会(明治25年生)寄進、神明社境内御水屋の水槽題字
   「奉納  七十翁今泉定助敬書」

5.昭和14年12月3日に再建された白石斎川鎮座田村神社の甲冑堂(これだけはちょっと遠いです。)
再建落成式に、西郷従徳、徳富蘇峰、久松潜一らと参列する。(展示施設があります。)
(田村神社甲冑堂略記による)

6.昭和16年明治33年生同年会による神明社境内御神木(伊勢神宮より下賜)の碑「御神木」題字

7.昭和16年白石神明社拝殿に、今泉によって奉納された、有栖川宮幟仁親王以下内閣総理大臣経験者9人及び今泉本人「鏡」を含む46人の奉掲額
今泉の故郷白石に対する愛着の念を感じ取ることが出来る。

8.昭和17年当時の白石町の町議を経て境内に建立された「今泉頌徳碑」
及び白石城二の丸跡に建立する「今泉記念碑」
除幕式当日、東京から今泉を始め八角中将等、地元からは、朝倉町長以下町の有力者が、多数参列している。

(参考)
白石市「同年会」についての概要

旧白石町内の産土神である白石神明社には男子、数え42歳の正月、同年会を結成し、神社に物品を寄進する風習がある。元来42歳の厄については関心が高く、この厄祓いのためには少々の出費は惜しまないとの風習があつた。大正初頭の第一次大戦と初期資本主義の好況により奢侈に流れ、盛大な祝宴をおこなう例が多くみられた。そうしたなか大正7年、42歳を迎えた人々が、その出費を社会貢献に提供しようと相談し、当時、神明社は白石大火により焼失し、益岡公園の現在地に移転後、日も浅く神社は未整備であり、また公園も拡張中であり、その公園及び神社の入口の旧益岡(白石)城の内堀に石橋をかけることを決定した。この大正7年における同年会の結成、及び活動によって寄進の風習が形作られ次の年に受け継がれ、連綿として同年会は結成された。終戦直後、途切れたかに見えた同年会結成が数年を置いて復活し、既存の同年会と共に社頭を賑わし、神社への寄進以外に時代の潮流に乗り、地方公共団体、社会福祉施設、学校等へも寄付を贈るようになった。
佐藤俊彦『白石における産土信仰(1)―同年会を中心としてー』