『菅笠日記』の中で宣長さんは「岡に戻り、三四町ほど北へ離れて右の方の高いところへ一丁ほど登ったところに、不思議な大石がありました。長さ一丈二三尺、横は広い所が七尺ほどで、硯を置いたように平らで、中央部に丸く長く彫った所がありました。深さは五六寸で、底は平らです。その頭というべき個所に、同じように小さく丸く彫った所が三つあり、中ほどのは大きさも中位で、端の二つはずっと小さく、頭の方の中ほどに彫った所から下側へ細い溝を三本彫って、中央のはあの広く彫った所へ真っ直ぐ続き、また石の下の端まで通り、端の二本は斜めに下って、石の左右の端へ通り、またその端にある溝に枝がしたしたあって、左右に小さく彫った所に通じでいます。全体の石の形は、四隅はどこも角がなくて丸く、頭のほうが広く下はやや細くなっています。そもそもこの石は、どの時代にどんな目的でこんな風に造ったのか、理解できません。里人は昔の長者の酒船と言い伝え、付近の名も酒船といいます。石は昔はもっと大きかったのを、高取の城を築いた際に、端のほうを大きく切り取って移動したとの話です。」と詳細に形状を観察しています。私も石を摩りながら不思議な図形が宇宙空間を超えて出現した感覚に捕らわれた。
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