2020年7月21日火曜日

関東地方梅雨明けか

昨日朝から蝉の声!気象の専門家よりも自然の摂理に従うと関東地方の梅雨明け宣言していると感じる。

2020年6月26日金曜日

河野防衛大臣、首相は無理なのかな

陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の配備断念をめぐっては、ブースターが民家などに落下する危険性を理由としていたが、その時、日本に向かって撃ち込まれたミサイルで数千万の国民が死ぬとゆう現実その後に続く虐殺を、秋田、山口県民に死に物狂いで訴える努力をしていたのか、日本の防衛を本気で考えている巌のような人物たりえるか、只々落選議員に涙する心優しい選挙第一の人物か、見定めていくのが国民の務めと考えている。

2020年6月21日日曜日

武漢ウイルス考

武漢ウイルス対策は京大の先生の意見が一番しっくりするが、どうだろう!
唾でうつる!この一点のみ、マスクをして、よく石鹸で手を洗う事のみ、カラオケ、飲み会、食べたり飲んだりする時のみマスクを外す、歌う時、喋るときはマスクをする、これだけを守れば、コンサート会場、映画館、野球観戦等人々が集まっても、クラスターは防げるのではないのかな。

2020年6月11日木曜日

蕎麦屋の閉店

30年通った蕎麦屋さんが閉店した。鬼平犯科帳に出てくるような、土間のある江戸時代の香りがするお店、鬼平の様に昼酒でもとの思いも出来ず終わった。

2020年6月10日水曜日

道場の再開

3月から3か月休館した道場が再開した。在住者のみの使用許可と小学校、介護施設の再開が一部のため、会員の居ない一人稽古、30度を超す道場の中、熱中症ぎみになり2時間で止めた。三ヶ月に渡り自宅にてのストレッチ、一人稽古で感じた、中心力の確認に終始した稽古、帰りに久し振りの外食、冷やし中華の旨さに身体が感動した。

2020年5月3日日曜日

Zoomシステムによる合気道活動

私が所属する合気道団体では、武漢ウイルスの感染を避けて、全ての活動を自粛しているが、総会等の延期が限界となり先ずは、全国連盟の総会対応の役員会の実施を皮切りに、県連総会、全国連盟の指定技講習会とインターネット会議システムでの実施が続いている。初めはおっかなびっくりでのスタートでしたが、各々の家庭が垣間見えて面白かった。今月からは、本部道場で始まった主席師範の合気道指導を受け、県連レベルでも、各指導者による合気道指導が始まり個性豊かな指導が期待できると思う。便利なZoom システムだが、偽物もあると聞くので用心を欠かせない時代となっている。

2020年4月26日日曜日

一人稽古

早朝のストレッチに始まり、合気道、棒術、居合、気功、整体、太極拳、今まで練習を重ねてきた武道の動きを自己流でアレンジして短時間の間に体と確認を繰り返す。一番今感じるのは、中心軸の確認、今まで武道の動きの中で頭から体に伝えて来たものが、体から頭に伝えて来る感覚が楽しい。ひたすら自宅に籠る感覚が、生み出したのか、日々是好日

2020年4月13日月曜日

春の里山の森を歩く

こんな時期だから、誰も居ない、春盛りの里山の森を一人歩くのは、気持ちが晴れる。日が差し込む森の中で待って居てくれたのは、エンゴサクの可憐な花々、吹き渡る風の中で佇む自分と色とりどりの若葉に包まれた山里。

2020年4月8日水曜日

斎藤竹彦先生の今泉定助先生に関わる修士論文

アーヴィン・ラズロの思想との比較に見た、今泉定助の人と思想
斎藤竹彦先生の修士論文も合わせ掲載しておりますので、お読みいただきたく存じます。

『國體原理』「生成化育論」の掲載

斎藤竹彦先生が、今泉定助先生の著書『國體原理』の中の「生成化育論」をデーター化して、送信されて来ましたので、広く読んで頂きたく掲載しました。新型コロナウイルスの拡散防止の為、自宅に籠られる中、心の拠り所となればと思っています。

2020年3月30日月曜日

今泉定助先生生誕祭の実施

昨日・3月29日今泉定助先生誕生の地、宮城県白石市白石神明社で今泉定助先生生誕祭が行われました。主催者は宮城ビジョンの会、宮城県県会議員3名を含む14人と時節柄少数に絞っての実施となりました。小生もコロナウイルスの拡散を考え出席を取り止めました。毎年の実施予定とのことですので、次回の実施時には、今泉敬介先生の息子さん達、今泉定助研究所卒業生の皆様にお声をおかけします。また今泉神道練成道場にご関心のある方のメールでの御連絡をお待ちしておりますのでよろしくお願いいたします。。宮城ビジョンの会・現代表世話人菅田彰人さんは、私のかつての教え子、深い縁を感じます。

2020年2月25日火曜日

今泉敬介先生の命日に

2月17日の今泉敬介先生の命日に、宮城県の斎藤先生からメールを貰った。新たな今泉定助先生の誕生祭の実施の為、今泉定助研究会が敬介先生の指示で作った資料の送付依頼で、将来は宮城県の博物館での今泉定助特別展の実施も視野に入れてのことでした。次の世代による力強い顕彰活動に敬介先生のお力添えを感じた一日となった。