2017年7月30日日曜日
バッパカ獅子舞棒術奉納演武
元禄6年(1693)に伝えられ、疫病の厄除けとして棒術と居合術、獅子舞が毎年7月24日に清水八幡神社で奉納される祭礼( 昭和41年千葉県指定無形民俗芸能) その棒術継承者が諸般の理由で絶えDBDが残り、関係者から大杉神社例祭時の奉納演武を依頼された。戸田流棒術指南免許を受けている身として軽い気持ちで受けたが、その歴史ある技の奥深しさに戸惑いを感じたが、何とか無事、奉納演武を終えた。戸田流宗家岩井先生の元での修行再開を考える日々となった。
2017年7月23日日曜日
明治神宮武道場至誠館「武学」講演会「今泉定助の思想」
至誠館本館研修室で明治神宮研究員、戸浪裕之先生による『今泉定助の思想ー「生成」思想を中心にー』を聴講することが出来た。荒谷卓至誠館館長以下至誠館の50人近い武人達の真剣な受講態度に感心すると共に、戸浪先生の難解な今泉先生の思想を軽やかに話され自分として勉強となった。講演後、荒谷館長から「世界思想としての国体論と世界皇化」(「明治聖徳記念学会紀要」抜刷)をいただき、心新たになる一日となった。
2017年6月11日日曜日
最終回 国体論勉強会終了
4回に渡って実施された今泉神学の『国体論』講義、延べ45人の参加者を迎えた勉強会も最後、「君民一体の原理」に始まり「天皇御本質論」、戦前の天皇と国家とを区別して、天皇と国家が対立分裂するとする思想・機関説、また戦後のマッカーサー憲法の象徴天皇論これらを超えた、天皇を宇宙万有生成化育の本源と位置づけた『国体論』が、如何に現代日本で、特に皇室関係者に知られていない現実を、変えるべく稜威會がインターネット等を通じて発信していって欲しいとする参加者の思いが今回の最大の収穫となった。
2017年5月15日月曜日
国体論勉強会3回目
今泉先生の国体論、昭和11年の著作ですが、量子力学やリーマン幾何学の観点も含み
物質、生命、時空間、因果律など、すべて同根一体であると言う卓見、また、大嘗祭の本質と意義などを今回も江島先生の絶妙な話術の世界が参加者を魅了した開催となつた。
2017年4月9日日曜日
第二回国体論勉強会の終了
第二回の国体論は八神殿、現代では皇居神殿に合祀されている神様、天皇との関係が深い神様たち、今泉神学の中でも最も難解、前回同様多種多様な参加者に江島先生が切り込んだ話術は物理学の世界、現代科学の解明が八神殿論を追いかけ理論の正しさを教えると言う不思議な世界が展開している。
2017年3月4日土曜日
第1回国体論勉強会の終了
一時期は見向きもされなかった「国体論」、時代の変化を感じる勉強会、関東各地から、年齢を超えて多様な参加者、江島先生の気合が時間と共に高まり、いつもの心に自然に入り込む語り口調も良くテンポに乗っていた。ボリューム感があった準備資料、「国体論」の神勅も無事解釈を終了し直会を迎えた。
2017年2月23日木曜日
「合気縁」としての日本精神と養神館五段
剛柔流空手世界チャンピオンと銀座の外れの薄汚い鰻屋で武道談義をしていると、突然カウンターの電話を取ると「押す・押す」と何やら話すと「養神館合気道」への私の入門を拓大先輩の塩田剛三館長の御自宅に電話して決めたと私に告げた。新設間もない落合本部道場での入門当日は、今京都で指導に当たっているパイエさん、正座法をフランス人にと戸惑い現在豪州で道場を構える森さんと北海道に帰った西田さんに基本コース、月例審査は教士だった龍代表の安藤先生、本コースに入ると、柔道整復師となった鋭い目の中野さん、その後合気道SAを設立した桜井さん、第1回SA講習会に参加したが不思議な人だった。指導の主任は現錬身会千田最高師範、初めて二ヵ条の技を受けると失禁したかと体が感じた。塩田館長は白い袴で道場を歩く姿に猛禽類の歩みを感じ、息子の自由技の足捌きに血は争えないと感じた。警視庁当時の井上師範の手が余りにも美しく式典の折触らして(技を掛けて?)もらった。山梨支部長の竹野さんには甲府出張時突然の訪問に関わらずお話しを聞かせて頂いた。そして20年近く在籍した本部早朝の朝練会、千田主席師範を中心に、現葉武会の園田さん、小山田道場の小山田さん、現千野館長代行四ヵ条を受けると黒子の様な数ミリの痕が残り鹿島神武殿夏合宿時は弟子の心得を教えて頂いた。若き指導員では、現在の月光流の伊藤さん、仙元館の高島さん、華養会の村田さん達に散々お世話になった。この間千田主席師範の許しを受けて、本部休館日の月曜日松戸で指導を受けていた安藤先生から内弟子練成の為の愛好会設立を依頼、10年近く本部道場と同好会代表の二重登録となった。この同好会では現海龍会比嘉さん建速堀田さん蒼龍三橋さん三代に渡って共に修行を重ねた。平成21年4月落合本部道場閉鎖千田先生を囲んで朝練会解散式、荒れ果てた本部道場を見上げて正に落城、朝練本部会員は散り散りとなった。平成22年正月龍本部道場10日間の合宿を経て龍再入門、今泉神道錬成道場としての神道実践の場、合気道龍:春風館、古河カルチャーセンター、旧総和、三道場八教室の指導に関わり、当初感じた一里塚としての入門者60人目をこの春迎えた。これまでの多くの合気縁で結ばれた指導者からの技を通じて体得した日本精神を多少なりとも入門者に体顕出来ていただろうかとの思いは深い。
2017年2月20日月曜日
2017年2月12日日曜日
第13回合気道ジュニア大会
審判員として、今年も参加させていただきました。毎回感じる事ですが、少年演武は地上に降りた天子達、中高生演武は切れのあるスピード感溢れる動きに感動、懐かしい指導者として活躍されている先輩達との邂逅、心温まる一日となりました。感謝
2017年2月4日土曜日
『古事記』から読み解く陶芸に宿る「日本精神」の最後です
『古事記』は、日本精神の立派なバイブル、経典と唱えたのが今泉定助(1863~1944年)である。今泉は明治・大正・昭和に渡る教育者・神道家・国学者であり、国学とは『古事記』『日本書紀』『万葉集』などの古典を文献学的に研究することによって、・儒教・仏教渡来以前の日本古代の思考・信仰・文化を明らかにし、以ってそれらを現実の生活規範にしようとする学問の事である。本居宣長(1730~1801年)は江戸時代後期の国学者で、著作『古事記伝』『直毘霊』等を著わし荷田春満、賀茂真淵、没後の門人平田篤胤と共にいわゆる国学四大人と言われ、今泉はこの国学の後継者と言える。今泉は、『古事記』等古典の日本精神を感じ取る方法は「文献だけを墨守して行事、言霊、器教等を無視しては解るはずがない」としている。ここで言う「行事」とは、体を通した「体験、体感、体得、体現」で、自分の体で試験して体で感じ会得して体で実現して完成する。陶芸においても、土との対話を「体験」し、土から「体感」した心を「体得」し日本精神を「体現」して行くことが、縄文土器から続く自性の発揮「修理固成」と言えるのではないか。
2017年2月3日金曜日
今泉定助先生の国体論勉強会の開催
今泉定助先生の国体論の勉強会を稜威会本部で以下の通り開催します。
・日時およびテーマ
第1回 3月4日(土) 神勅論(仮)
第2回 4月8日(土) 八神殿論(仮)
第3回 5月13日(土) 三種神器論(仮)
第4回 6月10日(土) 神国論(仮)
以上の4回開催することを予定します。テーマは変更する場合があります。
・場所 稜威会本部道場
・会費 1000円
・各回のスケジュール
13:00 集合
13:00~14:00 拝神(朝夕吉詞を考えています)
14:00~16:00 勉強会
16:00~17:00 直会
17:00 解散
・講師 江島啓介(稜威会)
・コメンテイター 志水秋由(今泉定助研究会)
・その他
水行は行いません。
以上
2017年2月1日水曜日
『古事記』から読み解く陶芸に宿る「日本精神」また続く
「存在思想」は自分の思想を存在させんが為に他を排撃しなければ自分の存在が保てない。「生成思想」は宇宙の神が万物を生成化育包容して何者をも排撃しないとしている。天之御中主神が自然の本義を発露して宇宙全部を顕したのであるから、万有は総て天之御中主神と一体、従って神人一体、神人合一が宇宙の真理であり、『古事記』の神勅「修理固成」は、主観的には神格の発揮であり、人間は神に習って人格の発揮、事業の建設を行いお互いに自性の発揮を目的としている事が読み取れる。『古事記』は、『聖書』『コーラン』と同じで、日本精神の立派なバイブル、経典と言える。
2017年1月25日水曜日
『古事記』から読み解く陶芸に宿る「日本精神」続き
その「心」を理解する鍵が『古事記』である。 『古事記』は今から1300年前の和銅5年(712年)に撰上された日本最古の史書で『古事記』を読むことは、日本の古代人の感性を知ることであり、これにより日本という国と日本人の「来し方、行く末=アイデンティティ」を知ると共に「日本精神」を考えることにつながる。『古事記』冒頭の一節は「天地初めてひらけし時、高天の原に成れる神の名は、天御中主神。」と神々が「成り」その後、神が自然を「生み」人を「生み」神と人の合一の思想を抱いていた事が読み取れる。欧米の思想は客観的相対的な存在思想で神は「在る」人は神が「創る」もので、宇宙創造神は始めから在るもの、神は宇宙の外に在るとし「存在」が思想の基礎となっている。神人合一の生成思想「成る」「生む」から始まる日本は宇宙発顕神を成ると言って「生成」が思想の基礎となっている。
2017年1月16日月曜日
『古事記』から読み解く陶芸に宿る「日本精神」
日本の縄文土器の発明は四大文明発祥の地より古く、その土器を1万年以上作り続けた国は世界で日本以外ないと言う。大陸から「窯」の技術が伝えられ燃焼温度が1250度を超え燃料の木灰が溶融剤となり、粘土中の長石を溶かした自然釉がかかるようになっても、中国のような人為的な青磁に代表される改良を行なわず、自然釉に慣れ親しみ続けた「心=日本精神」、同じように「ろくろ」に対しても、縄文土器と同じ紐づくりにこだわり続け、「用の観念」から離れた「精神的な審美の世界」で器を形作ってきた「心」からも、紐作り自然釉焼締陶器は「日本精神」そのものと言える。
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