2011年5月1日日曜日

『日本精神』とは何か

日本人の心・大和魂・和などの言葉によって東日本大震災以後、多くの人々が伝えようとした日本民族の精神とは何か、東北の美しい大地で培われた共同体の精神的強靭さ柔軟性そして優しさはどうして生まれ育まれて来たのかを明確に説明している者はいるのであろうか。戦後、多くの日本人は国家そのものを重く暗いものとして嫌い、地域共同体を旧弊として蔑んできた。各々個人の自由を第一として、天皇に対しても「天皇陛下」とは気恥ずかしくて言えず、軽く気楽に「天ちゃん」と呼ぶ時代を作ってきた。戦後六十六年が終わり、新たに大震災以後が始まった今、『日本精神』と呼ばれる日本共同体原理を明確にする事が必要な時期が来ていると考える。
その答えの一つとして、明治・大正・昭和にわたる教育者・神道家である今泉定助は『皇道論叢』初版昭和十七年発行の「古典の精神」の中で古事記冒頭の一節の訓み方を、通して明確に示している。それは本居宣長も、平田篤胤も、その他の今日までの学者も、皆、この一節がよく解けていないとし、この一節が解ければ古事記の全部が解ると言い、これが解らなければ、又古事記の全部が解らないとも言える訳であるとしている。
古事記冒頭の一節とは「天地はじめのとき、高天の原に成りませる神の名は、天御中主神」であり、ここで「成りませる」という言葉が非常に重要であるとし、「ナル」の「ナ」は凪ぐの「ナ」で和らぐ、調和の意味とし、「ル」は集まる、取る、来るとかいう「ル」で吸収集合する意味で、「ナ」「ル」とを寄せると、完全に調和成熟することであるとしている。外国では宇宙創造神は始めから在るもの、神は宇宙の外に在るとし「存在」が思想の基礎、日本は宇宙発顕神を成ると言って「生成」が思想の基礎となっている。存在思想は自分の思想を存在させんが為に他を排撃しなければ自分の存在が保てない。生成思想は宇宙の神が万物を生成化育包容して何者をも排撃しないとしている。天之御中主神が自然の本義を発露して宇宙全部を顕したのであるから、万有は総て天之御中主神と一体、従って君国一体・君民一体が宇宙の真理としている。『古事記』を始め日本の古典は、神様の御名前を分析すると御本質が解る、御名の中に、神徳、神功、神業、神力が皆現れていて、主観的には神格の発揮であり、人間は神習って人格の発揮、事業の建設を行いお互いに自性の発揮を目的として生きている。それを私たちに教える日本の古典は立派な日本人のバイブル、経典であるとしている。